見比べた、『黒蜥蜴』 | Joon's blog

Joon's blog

どんな傑作にも100点を、どんな駄作でも0点を与えないのが信念です

江戸川乱歩さんの『黒蜥蜴』、映像作品になった2作を観ました。

かたや2015年、かたや1993年の作品です。

 

チト調べてみると、乱歩さんの作品の中でも、劇として作られた作品は『黒蜥蜴』が一番多いようです。

女性が主役、かつ男女の色恋が描かれているあたり、エンタメ性が高いからなのかな?

その他と言えば、圧倒的に猟奇的な作品が多いから、単なる削除方なのかもしれないけど(笑)。

 

さて、映像版ですが、両作共に舞台を現代に置き換えている時点で、原作に沿った内容を描くのを放棄しているように思えます。

まぁ、本気で原作通りにするとすれば、ちょっとした時代劇並みの豪華な作品になっちゃいますからねぇ…。

 

原作は小説という事で、文字による情報だけを頼りに映像化するのは、実に困難だと思います。

だから、どうにせよ少なからずのアレンジや拡大解釈は必要ですよね。現代版にせざるを得ない理由も、そこにあると思うんです(まぁ、最大のネックは予算なんだろうけど)。

アレンジという点で、93年版が遥かに勝っている点があります。

黒蜥蜴のアジトでは、生きている人間をコレクションとして所蔵していますが(これがない15年版にはガッカリ)、水槽の中で延々と遊泳している人の姿があります。

これは黒蜥蜴の手下の一人である青木という医学者の仕業で、見た目は普通の人間ながら、人間の呼吸器官を魚のそれに差し替えるという手術を施し、水の中でしか生きられない、まさに人魚を作り上げています。終盤で青木は、自分の意に従わない黒蜥蜴を人魚にしようとしますが…。

このあたり、人外やらクリーチャーやらが登場する乱歩作品を踏襲した、実に絶妙なアレンジで、やや胸クソを悪くさせる作風も上手く似せてますよね。

乱歩作品に触れたがる人の心理には、いわゆる“怖いもの見たさ”が根底にあると思うんです。

現代劇にそんな荒唐無稽さがあれば、安っぽくツッ込まれるのは必定ですが、15年版にも、このくらいの大胆さがあっても良かったんじゃないかなぁと思うんです。

 

15年版の方は、ところどころで嫌らしい小ネタがカチンと来ます。

山下真司さんにラグビーボールを持たせてみたり、森次晃嗣さんに縁の赤い眼鏡を掛けさせてみたり、そんな使い古された楽屋ネタとか、何をしょーもない事やって喜んでるんだよと。

 

明智役は15年版は渡部篤郎さん、93年版は伊武雅刀さん。

一映像作品として見れば、両作とも無難以上のキャスティングです。ただ、原作=小説から入ってしまえば、どっちもイマイチです。

渡部版は軽薄、伊武版は精悍すぎというか。天知茂さんが刷り込まれた人にとっては、どちらかと言えば伊武さんの方が好きかな?

天知さんを知らない俺ッチの、あくまで個人的な折衷案(?)としては、満島ひかりさんを推したいところです。まぁまぁマジで。