観てます、『新・牡丹と薔薇』 | Joon's blog

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どんな傑作にも100点を、どんな駄作でも0点を与えないのが信念です

本日は12月28日。
こういう時はTwitter等で祝福するんだろうけど、その辺はハシャぐのが好きな方々に任せるとして……誕生日おめでとう美輪子、富貴子、そして……ぼたん!

唐突に何の話かと言えば……そう、ディープな巷を賑わせている『新・牡丹と薔薇』の話。

前作は観ていないけど、正式な続編ではないので観始めましたが…。
切っても切れない縁にある人間同士のしがらみ、自分の出自の秘密、登場キャラが多く何かしらの関係があるという、かつての大映ドラマを彷彿とさせるシチュエーションが激アツですよ(笑)。

楽しみ方は十人十色&千差万別ですから、ネット等で先の展開を調べたり、他人の感想を読んで本作を知った気になるのもいいんですがね。
事件の結果を知るよりも、そこに至るまでのプロセスを見る方が、特に本作のようなドロドロ系であれば面白味が増すんじゃないかと。
例えば多摩留のくだりとか、結果だけ聞いてしまえば単なる異常者にしか思えませんが、そこに至るまでの苦悩や葛藤は確実にあるんです(多摩留とぼたんの事後のシーンは深みがあって好きです)。
なので、ちょっとした楽しみ方の一つとして、予告を見ない事をオススメします。これを実行しているせいか、本編で起きる事件にいちいち衝撃を受けています(笑)。

本作を見ていて思うのは、他人を自分の思い通りにするなんて不可能である、という事。
人間は誰かを愛したいし愛されたいものです。これは人間の本能的な欲求(の一つ)です。
けど、自分が相手を愛していても、相手は自分が期待するほどにまでは愛してくれない。そんな欲求不満が生じてしまうから相手を憎んでしまう。
いわゆる愛憎劇が受けるのは、人間が持つ感情の機微を明確に描く、つまり生々しいからこそ本能的に感情移入しやすいのかもしれませんね。
まぁ、本作の場合は、その辺が分かりやすいくらい大仰な感じもするけど(笑)。

“本能的”という言葉を使ったついでになりますが、これを象徴するのが美輪子ですよね。
何も計算せず、直情的に突っ走る姿は、まさに本能の赴くままに行動しているよう。
ぶっちゃけ、美輪子が絡むといちいち事態がメンド臭い事になりますが(笑)、ストーリーを面白くしているのも美輪子の存在があってこそ。本作における重要なキーパーソンです。
余談ながら、演じている逢沢りなさんに関して……これはガイアークと戦ってた頃から思ってたんですが、声が好きなんですよ♪ あと、相変わらず脚、細っせぇ!

そーいや、「今日び3Dネイルはダサい」「富裕層がガラケーwww」なんて意見を見受けましたが、ちょっと見落としていますね。
おそらく、20話の時点で舞台になっているのは2006年のはず。
物語スタートの時点で昭和57年=1982年→真澄が結婚するのが昭和61年=1986年→18年後、ぼたん&美輪子が成長→2年後、小日向家が九品仏に引っ越しという計算。どこか見落としてるかもだけど…。
なので、時間経過を重ねて2015年に至るという可能性も、なきにしもあらずですね。