観た、『行って帰ってきた烈車戦隊トッキュウジャー』 | Joon's blog

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『行って帰ってきた烈車戦隊トッキュウジャー』を観ました。

思えば、トッキュウジャーの初見は『キョウリュウジャーVSゴーバスターズ』。
そのネーミングやトンデモ設定に呆然となり、久々にギャグ路線の作品になるのかなと思いきや、かなりのシリアス路線。
メイン脚本が小林靖子さんだけあって、この人はコメディも書くけど、(特に終盤において)主人公に大きすぎるものを背負わせたがる、ドS脚本家なんですよね、実は(笑)。
それらに散々と苦悩や葛藤をさせておいて、全てにケリを付け、最後はほっこりさせる終わらせ方をするのが健全だとして評価されているんでしょうね。

そんな例に漏れない終わり方をした『トッキュウジャー』の、後日談たる作品が本作です。
そこそこ大人になったライト達の前に、何故か現れるシャドーの面々。いざトッキュウチェンジ!と思いきや、イマジネーションを失った5人は変身できず……といった始まり方。

本作にも出てきますが、大人はよく、“子供には分からないんだから”という言葉で子供を抑えつけようとしがちです。
分からない事を知りたいだけなのに、それをキチンと教えてもらえないという理不尽は、かつて子供だった時分に感じた経験があるはずなのに…。
確かに、子供には分からない大人の事情はあります。
けど、大人には分からない子供の事情もある……それがイマジネーション。
…いや、正確には、大人には“分からない”のではなく、“忘れている”んだよね。
大人と呼ばれるくらいに長生きをすれば、それだけで人生経験も豊富になるし、見聞も広がります。たとえ苦しく辛い現実を思い知らされながらであっても、僅かながらのイマジネーションは忘れたくないよなーと思える作品でした。
『トッキュウジャー』は、子供より大人に染みる作品だったんだなーと実感します。

前作の『キョウリュウジャー』は最終的に10人が変身し、一戦隊で二戦隊分の頭数にインフレ感を覚えたものです。
が、本作はVシネ=特別編ってのもあるけど、12人が変身するんだから、インフレどころか実にバブリー(笑)。
そーいや、本作では“乗り換え”がなかったですね。まぁ、シャドー支配下の町でもなければ、ほとんど気分転換なので(笑)、あってもなくても良かったんですが。
ただ1人、半分小ネタのような“乗り換え”をした人はいましたが……あれもアリなら最強だな(笑)!

このテのヒーロー作品は、これまで数知れず観てきましたが、『トッキュウジャー』ほど子役に敬意を払った作品はなかったと思います。
便宜的に使ってしまうけど、“子役”という言葉のイメージを払拭するに足りる扱いだったんじゃないでしょうか?
多くの子役は1回こっきりの使い捨てゲストキャラというのが常でしたが、ストーリーの根幹を成すポジションとは言え、あそこまで出番を与えたのは快挙です。
TV版のラストなんて、昭和のスパ戦の作風では考えられなかったでしょう。
あの5人の中の誰かが、数年後のスパ戦のレギュラーになったら嬉しいトピックですよね。