アレクサンダー・テクニーク教師の骨折日記 -29ページ目

アレクサンダー・テクニーク教師の骨折日記

名古屋市でアレクサンダー・テクニークを教えています。交通事故に遭い骨折してしまいました。アレクサンダー・テクニークがどれ程リハビリに有効か身をもって実感!
ホームページもご参照ください。http://atnagoya.sakura.ne.jp/

最近は政治家や都道府県知事の記者会見などが多くみられます。

それで気になることがあります。

語尾がまどろっこしいので、イライラしたり何を言いたいのか分かりにくいです。

一番「うんっ?」と思ったのは、

”○○せざるを得ないことになる”という言い回しです。

これはつまり”○○しなければならない”ということだと理解するのに時間がかかってしまいました。

こんな緊急事態にこのような紛らわしい表現は止めて欲しいです。

 

”○○させていただきます”という言い回しも、”○○します”じゃダメなのですかと思ってしまう?

親に対して敬語を使うのえっ?ってなります。親のことを尊敬していても、やはり身内のことをいう時に敬語は間違っているのではないでしょうか?それとも最近はそれが正解なのですか?

 

 

『一灯を下げて暗夜を行く。

暗夜を憂うなかれ、一灯を頼め。』

江戸時代の儒学者、佐藤一斎の言葉だそうです。

 

私にとって一灯とは何なのか。

それは、ここを乗り超えられれば”何かあるという信念”だと思います。

22歳の頃、私の人生においてとても辛い日々が続きました。でも、それを乗り超えた後は、私の人生においてとても楽しい日々がありました。

若い時に最初の辛い経験をしておいて本当に良かったです。若くなければ乗り超えられなかったかもしれません。

 

 

 

 

名古屋市でアレクサンダー・テクニークを教えています。

アレクサンダー・テクニークは、それまでの自分の動きを見直し、正しい動きを学び直すことによって、慢性的な体の痛みや不調を改善していくものです。

今年で15年目ですが、10歳代から70歳代までの幅広い年代の方々に教えてきました。

50歳代以上の人(特に男性)はあまり長続きしません。

その人たちと接していて感じることは、「跳ね返されてる~」という不安感です。

それは、私がレッスン中に発信しているすべてのことが拒否されているような感覚です。

それは、あからさまなものではない(表面上は受け入れている様子である)ので、対応することがより難しくなります。

 

最近は、それらの人達に共通することは、『プライドの高さ』なのだと実感しています。

彼らは年下で女である私から、それまでの自分の人生を否定されているように感じてしまうのかもしれません。

 

勿論、例外の人もいらっしゃいます。そうした人たちと接していて感じることは、「受け入れられてる~」という安心感です。そんな人たちは一緒にいてとても心地よくいられます。

私も年を重ねていくわけですが、そんな素敵な人間になっていきたいです。

 

 

 

 

 

ずっと新型コロナウイルスのことでもちきりの報道がなされています。

毎日、「新たな感染者数は何人です」という情報ばかりを流していますが、同時に快復者の人数も発表してほしいです。

そうすれば、もっとみんな安心できると思います。

冷静になれると思います。

最近のテレビの報道は、コメンテーターの発言も、街頭インタビューも、ディレクター(テレビ局)の意図に沿ったものしか採用されていないような気がします。

それでも局や番組によって違う意見を打ち出しているならまだしも、どこも同じ論調なのにはウンザリしますし、信用できません。

ハウツー本は、やり方を指示する本ですよね。

そのやり方はその本を書いた人には有効だったかもしれません。

人それぞれ状況も違えば、魅力も、特性も、性格も、何もかもが違うことは誰でも分かっていることです。

なのに多くの人が、自分に合っていない枠に自分をあてはめようとして上手くいかないことが続き、疲労して自信をなくしているようです。

更には、もともとある自分の魅力が分からなくなってしまっているようです。

 

アレクサンダー・テクニークを教えているのですが、個人レッスンという形式です。

アレクサンダー・テクニークはどうやって動けば、自分のからだを有効に使えるのかを教えるのもなのですが、人それぞれ違っているが故に個人レッスンで教えるということが重要なのです。

レッスンで一番私が気を付けていることは、その人を、今そこにいるその人を、よく観察することです。

同じ人でも日によって違うし、レッスンをやっていく45分のうちにも違ってくるのです。

その変化が楽しいですよね。

 

こんなことを書いていたら昔のことを思い出しました。

私はある友達に”好き嫌い”をはっきり言いすぎるといつも注意されていました。

私はそれがとても嫌だった...

でも私は「嫌だ」と彼女に言うことはできませんでした。