アレクサンダー・テクニーク教師の骨折日記 -19ページ目

アレクサンダー・テクニーク教師の骨折日記

名古屋市でアレクサンダー・テクニークを教えています。交通事故に遭い骨折してしまいました。アレクサンダー・テクニークがどれ程リハビリに有効か身をもって実感!
ホームページもご参照ください。http://atnagoya.sakura.ne.jp/

名古屋市でアレクサンダー・テクニークを教えています。

 

アレクサンダーテクニークは、自分のマックスのパフォーマンス(日常の動きを含む)を引き出す為の手段です。

その為に新しい自分のからだの使い方を学ぶのですが、学びの最初の段階はそれまでの自分の動きや動きに対する概念を変えていくことです。

 

アレクサンダーテクニークを学ぶ過程で、私にとって一番苦しかったのは、その最初の段階でした。

その段階では、私は自分のからだがどんどん壊れていくように感じられました。

真っ暗闇の中を歩き続けるような不安と恐怖でいっぱいでした。

 

後ろを振り返っても真っ暗闇。

立ち止まっていたら、このまま暗闇に取り残される。

このまま進み続けることしかこの不安と恐怖の暗闇から抜け出す方法はないのだ、と腹をくくりました。

 

自分を変えるということは、とても怖いことです。

それまでの自分を破壊しなくてはいけないからです。

 

私にとって幸運だったのは、二つ。

★アレクサンダーテクニークを学ぶことで、そんな大変なことが起きるとは知らなかった。

★私と相性の良い先生に出会えた。現実は、この人だと思える先生を死に物狂いで探しまくった。

 

アレクサンダーテクニークを名古屋で学んで痛みを根本から退治。STAT公認講師。児玉真千代。心とからだの健康と統一 (commufa.jp)

 

 

 

耳を澄ます、という表現があります。

耳を澄ますと、それまで気づかなかった音が聞こえるようになります。

 

手を澄ましてみましょう。

そうすると、自分が触れたものや人のより深いところにつながれるようになります。

 

目を澄ましてみましょう。

そうすると、それまで見過ごしていたものが鮮やかに目に飛び込んできたり、ボンヤリとしていたことがクッキリと輪郭を持ち始めます。

 

 

”そういうことは幸せをもたらすのか?”

と言われれば、いつもそうとは限らない。

でも、生きているという実感を得ることができます。

 

明けましておめでとうございます。

 

名古屋市でアレクサンダー・テクニークを教えています。

去年は、とても時間的に余裕がありました。

平たく言うと、暇でした。

 

でも暇も悪くない、と思えた年でした。

 

ある人との出会いがきっかけとなって、あまり記憶になかった幼少期の頃のことを思い出しました。

幼少期の頃、私が、どれ程、寂しかったか。

本当は、もっと、両親に、特に、父に、私のことを見て欲しかった。

 

でも、その過去はもう変えられない。

 

だから、これからは私が

私をしっかり見てあげて、

私を認めてあげて、

私を愛してあげる。

 

人間はもう十分です。

 

なので、

陸なら 馬

海なら イルカ

空なら 鷹

 

に憧れちゃいます。

 

どれもフォルムが精悍で美しい。

どれも動きに無駄も無理もなくて美しい。

どれも自由に生きている。

 

ただ、人間に飼育されたら、自由は無さそうです。

どの生き物に生まれ変わっても人間に関わることなく、大自然の中で本能のまま生きたいです。

 

神田沙也加さんが亡くなりました。自殺の可能性も示唆されています。

 

私は、33歳のイギリス留学してた時に、うつ状態になりました。

毎日、眠れなくて、誰とも話すことも会うこともできない状態でした。

「明日からはちゃんとしよう」と思うんですけど、やっぱり何もする気になれなくて、毎日部屋にこもる日々が続きました。

ある朝、気づいたらキッチンにいて、ナイフで手首を切っていました。

不思議なことに、キッチンに行った記憶も、ナイフを持った記憶もなく、切った瞬間、

「痛っ...」っと呟いて、正気に戻りました。

ふと、キッチンの窓から空を見上げたら、雲ひとつない真っ青な空が広がっていて、

「綺麗だなあ」と思ったんです。

何か月もの間、空を見上げてなかったんです。

 

多分、それがきっかけで、うつ状態から抜け出せて行けたと思います。

 

あの時、もっと深く手首を切ってしまっていたら、私は今いないかもしれません。

 

あの時は、辛かったけど、その後、自分の生きる道を見つけることができて、自分がなぜ生かされたのかわかりました。

何より、あの時死んでいたら私は本当に親不孝者になってしまっていました。

 

それから23年、「もうだめかも」と思う時はありました。

そんな時は、空を見上げて、

「大丈夫、大丈夫」って呟きます。