今日は、(今日も?)ぐだぐだ話です。
三浦しをんさんの『マナーはいらない 小説の書き方教室』をまだぐずぐずと読んでおります。
内容が良すぎて、先へ進めないんですね。
色々と本へ書き込んだり、別のデジタル・メモに思いついたアイデアや考えを打ち込んだり、
はたまた、文中で言及された三浦さんの作品やお勧め本を注文したり、脱線しまくりだからです。
でも、さすがに、毎日、その本のネタについて書くのは憚られるので、
今日は、小説というか、文学、芸術作品を作る上での、スキルとワークショップの話を書きます。
実は、でもないが、元々、僕の文学への取り組みは、大学通信教育での学びの履歴とリンクしております。
時々、それは書いているんですが、始まりはもう25年も前になるので、よく読まれている方もご存知ないでかと思います。
前に述べた、そうした履歴的な内容とは違う、文学とも絡めた感想を、今日は書こうと思います。
’00−03年に、京都芸術大学(旧:京都造形芸術大学)の通信洋画コースを卒業しておりますが、
その前から、細々ですが、10年近く地元の絵画教室へ、カルチャーセンターから洋画家の自宅でのレッスンやらで絵を学んでました。
でも、その絵を描く過程でも、結局はそうした教室は「描け描け式」だったので、
1作ずつ作品を描き上げることで上達して行ったのですね。
確かに、デッサンや油彩画、パステル画を、写実的に描くスキルを身につける上でなら、それはそれで正しいと思うのですが、
大学入学後での自由制作で、はたと気づきました。
「自由に描け」ほど難しいことはないんだ、と。
アンリ・ルソーのような、個性的で「下手ウマ」な作品を描くことの難しさに開眼しました。
もちろん、それは愉しさ(=作者の自由な発想・感覚)ともリンクしていたんだ、と、今ならわかります。
でも、大学の卒業制作で、別な件で嫌な思いもして、僕は直接的に、絵画・美術が自分に合わないことにも気づきました。
洋画コース卒業後は、慶應通信で学びながら、片方で、アート・アニメーションやら、彫塑で石膏像を作ったりしていました。
そこから、絵本・アニメーション・ストーリーマンガの研究やら、絵本作りをしつつ、
勉強も慶應通信を卒論12万字で卒業、放送大学大学院に入学しておりました。
たぶん、その頃には、「描け描け式」では、作者の自由な発想や感性を育てられないこと、
むしろ、美術的なワークショップで、適切なきっかけを貰えば、飛躍的に発想が伸びることを体感できたんだと思います。
そうした中で、板橋区立美術館での絵本のワークショップを受講した際に、
絵本作家の方の「今日は、絵のない絵本を書きましょう」の一言で、童話を書いたきっかけで、僕の文学人生が始まりました。
その後、再び、京都造形大学の出来たばかりの文芸コースへ’10年に入学し、’12年に卒業しましたが、
そこでの在学時や卒業後に、大学主催の幾つものワークショップ(WS)での経験が、僕の今の表現活動やスキルを形作る方向性を決定しております。
詩や小説教室など文学系の講座では、今でも「書け書け式」が主流ですが、僕がそれらへ、すぐ疑問を感じてしまうのは、
自分の成り立ちが根本的に、美術的であり、途中での本人による気づきを優先するワークショップ的な成長歴だったからでしょうね。
違う言い方をすれば、僕は「才能」を、WSできっかけを、自分の中から掴み取り、育んできたのですね。
文学は、最初から「自由制作」である気がします。(詩など、その典型)
かつ、美術と違い、小説では下手ウマはありません。
そこが厳しいところだと思います。
三浦しをんさんの、この『マナーはいらない』は、小説創作に関する、すごくワークショップ的なきっかけがふんだんにある名著です。
今日は午後から仕事。


