やっと読み終えた!
三浦しをん『マナーはいらない 小説の書き方教室』を。
いやあ、何度も同じことを言いますが、面白かった。
何よりも、タメになった。
自分の甘いところ、曖昧でわかったつもりでいたことが白日のもとに明かされた気がしました。
それは「知っているつもり」ならぬ、「やってるつもり」が多すぎたこと。
総ページ数・p261、つまり見開き131ページ中、付箋をつけたのは60箇所ぐらいはある、と思います。
もちろん、それ以外のページでも、カラーペンの引きまくりです。
今回、特に印象に残ったのは、自分ではやっているつもりだったことの間違い。
例えば、冒頭ページで、一人勝手な無駄な文学的描写をして、自己満足に浸っていたこと。
詩では、もしかしたら、ある程度、許される場合もあるでしょうが、小説では、そんなことよりも、いかに早く読者を作品世界に馴染ませるか、
が大事なことだ云々も、当たり前のようで、僕はできていなかった。
(それって、書き手ファースト姿勢であり、僕の苦手に思った自己表現オジサンと同じ姿勢だったんですね。
恥ずかしい!)
つまり、読み手ファースト姿勢が必要だということですが、
言い換えれば、読者に「面白い」と思わせることだと思いますが、その第1優先事項が不徹底でした。
いわゆる、4W1Hや主人公の年齢は、早期に読み手へ知らせても、それだけだったんですね、僕は。
ほかにも、事細かに、三浦さんは指摘します。
「比喩とはつまり「まわりくどい表現です。(略)小説の冒頭(特に短編)はスムーズに作品世界に入ってもらうことが肝心ですから(略)冒頭には、描写を通してさりげなく説明しなきゃいけない設定がいっぱいある」p72−73
「『どういうこと? なにが起きる(起きてる)の?』と読者に思わせることができたら、勝ったも同然です」p74
「「無駄な(と一見思える)セリフの応酬がありつつも、実は会話を通して、もしくは会話をするあいだも、的確にストーリーが進んでいる」というのが、ベストな塩梅でしょう」p91
「いきなり情報がいっぱい押し寄せることになり、読者は混乱します。「描写」ではなく、読者が想像力を発揮する余地のない「説明」になってしまっている、ということです」p109
これらって、当たり前のことのようで、ふつうの小説の書き方本にも類似のことが記載されています。
でも、それらは一般論や抽象論を振りかざしがちか、逆に、具体的な例示でプロの文章の見本で終わらせてしまっていました。
で、結果的に、それでは、知識として知れても、僕自身の身体性に到達できず、脳内では再生できにくい、すぐ消え去るものばかりでした。
また、僕の嫌う才能天授主義と、批判する記述、つまり、僕と同意見な箇所もありました。
「小説を書く際に要求されるのはたったひとつ。「センス」です。(略)センス中のは天賦の才などではない。(略)試行錯誤して後天的に身につけていったセンスで書くのです」p133−134
その上で、才能天授主義の作家志望者へ「努力も研究も読者への心くばりもせず、ボーッとしてる」奴へ警告を発しておられました。
自分には、「天賦の才がないから書けない」は努力しない言い訳としては最強です。
さすがに、僕はボーッとはしてませんでしたが、
つい、自分の「才能の無さ」にばかり絶望して、努力を放棄したくなりますし、読者への心配りもまだまだ不十分なまま描き続けていましたから、
すごく、すごく恥ずかしく感じました。
とにかく研究するしかないですね。
天賦の才がないなら、自分で作ればいいですね。

