申し訳ありません。
ずっと同じ話題をぐだぐだ続けていますが、三浦しをんさんの『マナーはいらない』を解析しながら、読んでいるので、
そこから離れられません。
「理論だけでは小説は書けないですが、感性だけでも書けないものだからです」……A
「完成は自分で磨き、鍛えあげていくほかない部分が大きいけれど、理論は手引書や先行作品などから学び、自分なりにアレンジして自作に反映させることができます。」……B
「感性に頼りすぎてしまって、構成が人称、登場人物ん配置などにおいて、小説表現に適したコツや型をうまく利用しきれていない傾向を感じたのです」……C
「小説に真剣であるがゆえに、「こんな原稿じゃダメだ」「この企画は自分位は合わないんじゃないか」と考えすぎてしまって、だんだん書けなくなるからがおられます。書くのが怖くなってしまうのだと思います」……D
これらのどれを読んでも、自分のぶつかっている壁や、落ちている穴、そのものどんぴしゃりなんですね。
それへの対抗策や、救われる考え方があって、もう何も言えなくなります。
ほんと、いいのを描こうと思えば思うほど、書けなくなりますから。
特に、この「B」の、手引書や先行作品からの「学び」は、ずっとやってきたことですが、
まだまだ不徹底で、さらに一人勝手に絶望するのは、才能主義で、学びの方向性がわかってないからだと、今はわかっています。
それでも、絶望しますから。笑
さて、三浦さんから学んだこと。
自分に欠けているのは、この【出来事葛藤による展開変化】と名づけた、途中のリレー中継エンジンの型だったと気づきました。
以下、すみません、勝手な独り言。
未来の僕自身への備忘録です。
今までが短距離走の走り方で、必死に長距離を走るから破綻してたようミスマッチだったんだ。
三浦しをん式の長編小説の真髄と定義を教えられ脱帽した。
これこそ、ずっと求めていた大江健三郎的な抽象化図式の法則にもなるだろう。
しかも、同時に、それが今まで身につけた人物群渦でもあるし、物語バスケットボールWSの真髄を示すものでもあった。
つまり、自分の、現状の持ち札にピッタリ当てはまるパーツだ。
今の全ての感覚を、どう抽象化と具体化の間を自由に往来するものに換えるか、その画期的なメソッドだった。
適宜、状況変化の要因を投入すれば、物語も人物も新展開に動くこと。
それが中継エンジンなんだよな。
個々のシーンと人物群渦を完成させる、これが最良の手段になる予感もある。
ところで、来る、24土曜日や、別日に、京都芸術大学の特別講義があります。
そこでもまた、新たな知見をもらいたいと思います。
どんどん、矢継ぎ早に、学びが来るのは、ほんとシンクロニシティなんだよね。
中島京子もどんどん解析しないといけない。
