中島京子の作品を読む。
短編集『東京観光』だ。
その冒頭作「植物園の鰐」が、面白かった。
この作品は、わずか19.6枚の短編で、特筆すべきは、〈信用できない語り手〉手法だったこと。
なるほどな、と納得した。
解説を巻末で、書いた文芸評論家は、また、その展開を、RPG的な探索譚だとして、
そこに「迂回」の運動がある、と指摘している。
僕も読んで、同じ解析をした。
主人公タミコが探し回りつつ、出会う相手ごとのエピソードに巻き込まれ、その心情や立場が変化するものだった。
それは、このブログで、僕が指摘してきた三浦しをん式の小説展開術そのままだ、
と、僕自身は感じてしまう。
ぼーっと読むと、ただストーリーが展開しているようにしか見えない。
でも、その為の、そして、それとは別の、
読み手サービスやコントロールの効果を持つ文体・文章が見事だったからだ、
と、今の僕には発見できた。
少しは、三浦しをんさんの文章感覚が身体化できて、自分の中に流し込めているように感じる。
これって、ある意味「メタ」感覚なんだと思う。
作中に入り込み、その展開を感じつつ、読み手の存在を感知しながら描くもののように感じるから。
とにかく、従来の僕は、書き手のみで、あとは展開だけを(.そんなつもりはないんだけど)、感じながら、書いてしまっていたからね。
今日は午前中が仕事で、午後に四国大学の公開講座だから、
鉄砲玉のように、慌てて帰って来なくちゃいけない。

