読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る) -22ページ目

読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

中島京子の作品を読む。

短編集『東京観光』だ。

その冒頭作「植物園の鰐」が、面白かった。

 

 


この作品は、わずか19.6枚の短編で、特筆すべきは、〈信用できない語り手〉手法だったこと。

なるほどな、と納得した。


解説を巻末で、書いた文芸評論家は、また、その展開を、RPG的な探索譚だとして、

そこに「迂回」の運動がある、と指摘している。


僕も読んで、同じ解析をした。

主人公タミコが探し回りつつ、出会う相手ごとのエピソードに巻き込まれ、その心情や立場が変化するものだった。


それは、このブログで、僕が指摘してきた三浦しをん式の小説展開術そのままだ、

と、僕自身は感じてしまう。


ぼーっと読むと、ただストーリーが展開しているようにしか見えない。

でも、その為の、そして、それとは別の、

読み手サービスやコントロールの効果を持つ文体・文章が見事だったからだ、

と、今の僕には発見できた。


少しは、三浦しをんさんの文章感覚が身体化できて、自分の中に流し込めているように感じる。


これって、ある意味「メタ」感覚なんだと思う。

作中に入り込み、その展開を感じつつ、読み手の存在を感知しながら描くもののように感じるから。


とにかく、従来の僕は、書き手のみで、あとは展開だけを(.そんなつもりはないんだけど)、感じながら、書いてしまっていたからね。


今日は午前中が仕事で、午後に四国大学の公開講座だから、

鉄砲玉のように、慌てて帰って来なくちゃいけない。