とにかくも、去年の5月に書いた永井荷風新人賞の落選原稿を書き換えなくてはいけない。
ただし、単純に応募するためじゃない。
この’26年、直近で受講した放送大学の面接授業やら、その他の講座やら自分の独学やらで、
去年の自分と今の自分は雲泥の差の知見や感覚を有して変化しているのは事実だから、それを証明するためだ。
また、それは6月下旬から開始するカルチャー教室の講師としての在り方にも関係してくるからでもある。
時に、この〈読み手に向かって書く、見えないものへの対応感覚〉を何年も前から探し求めてきた。
それが今、単なる知見でなく、感覚的にそれをなんとなくだが手に入れつつある気がしている。
今回、詩がスラスラとかけたのがその証左でもあると推察している。
つまり、変容の完了の刻は満ちている、のだ。
あとは実行するだけ。
スイッチを入れて「GO!」と進むだけだ、と思う。
去年の、この落選原稿を読み直すと、見るからに、自分ファーストな語りだと感じるからね。
今の僕が、去年の僕と違うのは、実感できる。
見えなかった欠陥・欠点が見えるよ。
ただ、一つ問題点が未解決なものがあるんだ。
それは、この〈読み手〉とは誰だ、という問題。
エンタメ系なら、迷う必要がない。
だって、普通の人間を想定していたら、いいのだから。
でもね、純文学系では、井戸川射子さんの言う「人ならざるものへ向かって書く」必要があるんじゃないか、と疑っているんですよ。
詩においても、同じなんだけど、自然に、「人」と「ヒトならざるもの」の使い分けをしている気がするから。
そう意味では、これ、エンタメだから「人」向けなんですよね。
あと、この『魔法世界の受付嬢になりたいです』の既刊9巻まで読み切りました。
面白かった。
続編があって、コミカライズされるんですね。
来年の単行本化を楽しみに待っています。
改めて、少女マンガって、「人」向けの演出で書かれている、〈読み手ファースト〉なマンガなんだなあ、と実感しました。
さてさて、どう書き出したものやらか。
あと、見えない相手に書くだけだと無限性との勝負になるけど、自分なり登場人物なりを憑代に見せる(=外形描写視点だ)と、
無限勝負にならない気がしている。
