ふいに、アイデアが降りてくる | 読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

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文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

群像新人文学賞の続きを書こうと思っていたら、

ふいに、今月できれば仕上げたいと思っていた、小川未明文学賞用のアイデアが、ほぼ完全形で降りてきてしまう。

 

えっと思っていたら、あれよ、あれよ、と終わりまで繋がって、見通せてしまう。

 

これなら、規定の中学年対応もできる案だ。

これはやらざるを得ないよな。

ちょうど、10/8から10/12まで5日間の休日もあるし、10/12が児童文学教室で、どんぴしゃりだし。

 

今、読み込んでいる、湯本香樹実の作品や文体自体が児童文学的な語りだったし、純文学との両方へ参照できるんだよね。

群像を止めて、そちらへやってみたいと思います。

 

10/4の詩のフェスタで感じたこと。

詩人の方たちは明らかに、「書け書け式」の住人で、僕とは違うとしみじみと思いました。

「そういう権威とか関係ないんで」と言った方からも、その雰囲気を感じた。

僕は、その「国語的な見地と研究書(者)の融合によるアプローチ」で、詩や小説が書けるようになったから。

 

別の、その方々を批判しているんじゃなくて、アプローチの仕方がまるで違う世界の住人だな、と強く感じられて、

きっと僕のことは理解されない、と思っただけで。

 

じゃあ、僕が、その「国語的な見地と研究書(者)の融合によるアプローチ」を最大限に生かしているか、というと、

それも疑問なんですよ。

まだまだ徹底していない現状がある。

 

今回の未明作品の完成や群像の作品化を、湯本香樹実さんを始めとする多くの作家の研究からのアプローチで完成すれば、

それが、他の人からも一つの目に見える形で実現できる気がする。

 

頑張ります。

今日は1日仕事なんで、今日はここまで。