今日は、午前がgrafの合評会の最終日、午後が兵庫県の詩のフェスタ | 読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

今日は、午前がgrafの合評会の最終日、午後が兵庫県の詩のフェスタで、忙しいです。

 

さて、小説創作に取り組みながら、この10/4時点では、こう考えています。

 

おそらく、このまま自分の作りやすい小説を書いていても、面白さの点で欠けてエンタメにもならないし、

また、独創性と感性のポンコツな点で純文学にもならないだろう、と。

 

きっと、完成させるプロセスで、その欠如点から目を背けたまま、どこか無難さや予定調和をメインに、

無意識的に完成させてしまうから。

 

ちょうど、手元にあって、再解析した山川方夫の「夏の葬列」おける、それらを真逆の凄さに見惚れてしまいます。

その見事なエンタメ的な構成と、語りすぎない確かな文章力を読むと、もちろん、圧倒的な力量の差を痛感します。

 

けれど、山川のこの作品は、徹頭徹尾、〈読み手ファースト〉視点で組み合わせられている点を無視してはならない、

その出来のあまりの見事さに幻惑されて。

その幻惑こそが、僕のよく言う【ストーリー展開の呪縛】の結果ですからね。

 

そもそも、書けばなんとかなるんだ、とは僕は信じていませんから。

また、七転八倒、苦吟すれば、自らの才能と天啓で、ある日、ある時、完成するのもありえないでしょう。

 

grafの合評会でも、他の方がストーリーの破綻を指摘されます。

僕は、失敗ポイントはそこではないと思っています。

 

そんな重箱の底をつついても、才能・天授説を覆せはしない。

馬鹿げている、と思っています。

これは、その方々を非難しているのではなく、その展開上の破綻そのものは事実でありましょうから、

けれど、そこだけを改善しようとしている限り、正解の一つには辿り着かないと思っています。

 

「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」の故・野村監督の箴言通りに、

駄作しか描けないのは、山ほど欠陥・欠点があるからで、それは才能不足以前の問題ですから。

 

何よりも、純文学とエンタメと目指すゴールも使う道筋も全く違うんですが、

小説という肉体を使う身体性・息遣いは同じなんだ、と

 

 

 

 

のような、両方に秀でてた作家を読むと思います。

 

 

 

先達に学ぶことでしか、この「小説・鵺という合体妖獣」を捕獲できまない。

そう信じています。

今日はここまで。