*アクセス数への信頼がダダ下がりの上書きされる
また、アクセス数の話で申し訳ない。
一昨日も9/21(月・祝)のアクセス数が「186」で151位でした。
この数で、この順位はおかしいな、と思いつつ、別に順位が上がっても下がっても、
お金が出るわけじゃないしな、と思ってスルーしていた。
でもね、前日の9/20(日)は同じ祝休日でも、わずか「46」の数値で、145位(!?)なんですよね。
186〈 46
同じ休日で、この関係って、おかしくない、っすか?
順位の信頼性って、もうないのがさらに上書きされる。
しかも、どちらも前日のボットなどの検索エンジンも含めての、22時段階のリアル数値だと、
「250」ほど以上あったと記憶しています。
まあ、単なる愚痴です。
すみません。 d( ̄  ̄)
(さっき、追加で確認したら、昨日9/22(火祝)のアクセス数は「195」で40位だった。なんじゃそりゃ)
*詩のこと等、文学関係あれこれ
次に、詩の話題です。
昨日、手帖の今月分を、先月書いたものを2.3語書き換えて仕上げ、『現代詩手帖』の今回分として投函する。
自分で、なんで、こんなラップみたいなのを書いたのか,全く思い出せない作品だったんですが。
とにかく、敬愛する詩人で芥川賞作家の井戸川射子さんへの文通のつもりで、全然掲載されなくても、
井戸川さんが選者を続ける限り毎月投函へ努力します。
とにかく毎月、送り続けることを諦めない、と言い聞かせています。
『ユリイカ』も今月分は、先月の末だったかのに投函していますから、こちらは次の10月に投稿するかは未定。
あともう一つ、詩の話題。
昨日、たまたま、某有名な女性詩人が、某有名な詩人賞で、複数の若い詩人と対談している、
少し昔の動画をYouTubeで観た。
すごく不快になった。
その年配の(僕より年上)某有名・女性詩人が、自分より年下とはいえ、
初対面の男性詩人を「⚪︎×△少年」と途中から言い出すんですね。
その男性詩人は、その方より年下とはいえ、36歳の大人ですよ。
しかも、その詩人の教室の生徒でもなんでもない。
初対面の人間に、公の場所で言う態度じゃない。
本人は、親しみを込めて言っている意識だろうが、言い方もぞんざいで、ずっと上から目線。
「で、どうなの?」との質問調が延々と続き、相手の言葉を論評する、その人の返答が続いていく。
全く相手へのリスペクトがない。
僕なら、たとえ教え子でも、親子ほど年齢が離れていても、20歳を過ぎた大人に再会したら、「さん」づけて呼ぶようにします。
その方とすごく親しい間柄が、過去に数年あったら、お酒が入れば、本人の許諾を得て、つい呼び捨てる場合もありますが、
努力はしますよ。
だから、すごくムカムカした。
ほんと、嫌だった。
実は、その方の講演を、不幸にして、リアルで拝聴したことが過去にありますが、
演題とは外れた、会場にいた知り合いを議場に呼んで、途中からただの世間話的な雑談に終始して、呆れたことがあります。
まさに自分ファーストな「オレ様」詩人の典型だと思います。
先ほどの動画でも、その講演でも「詩は自由だ」や、「芸術は破壊。型を破れ」論を振り回して、おられました。
多様性を語りながら、他者の自由や異論は認めない、あの左翼世代の方の典型に感じます。
つまり、自分や自分の言葉に酔って、見える。
無様なナルシズム。
詩の美しさや詩人としてのあり方を、中也などで語る箇所が、その語る言葉の中にもあるのですが、どうにも美しくない。
その人、有名なので、小説も一瞬、刊行していますが、
「自分に(小説は)合わなかった」と吐露されています。
そこだけは正直で、評価します。
でも、詩より小説を低く価値づけて語っていましたけど。
ところが、出版社がつけたのか、帯では絶賛なんですよね。
その小説の内容は、触れませんが、ご推察ください。
小説は、オレ様意識だけでは書けないんですよ。
どこか、客観性を含んだ、「読み手ファースト」感覚が必要ですから。
また、箴言として、有名な一言。
「文学者の人格と、その文学的業績は比例しない」
それも事実。
でも、親しくなったプロの小説家や詩人で、素晴らしい人格の方とも、色々な教室や講座で出会いましたよ。
そういう方は、あまり他人へ自分の詩観や小説観を強要されない。
「色々な考え方がるけど、自分が考える小説(詩)は、こうだ」とおっしゃる場合が多い。
ただ、今の立ち位置として、自分の詩は、あの人より下なのは嫌です。
少なくとも、そう思うなら、必ず努力しなければいけません。
でないと、単なる負け犬の遠吠えですから。
詩への精進も、やがて再始動しなければなりません。
第3詩集を編まないとね。
あと、昨日、所属する文芸同人サークルgrafの合評会でした。
僕は戯曲の短縮版を出してみました。
すると、小説以上に、形式へのこだわりが皆さんあって、面白かった。
たぶん、それ純粋に、それぞれご自身の、過去の観劇体験からきた「観客としての感想」そのものなんですね。
ほとんどの方が、戯曲の長いものを書かれたことはないようでした。
僕は、今回、戯曲を書く際に、さまざまな公募の入選戯曲集の書き方や、プロの戯曲家の本も一応、数冊調べております。
(正確ですね。必ず先例を調べる。ト書きのフォントの大きさや行空け方法などの細部もチェックしました。笑)
ですから、その書き方へのこだわり(=「こうあるべきだ」)が絶対的でないことを承知しております。
何よりも、お芝居として、役者が語る台詞の長さへの制約も、身をもって、先般、経験済みですから。
今回の自作が、やたら長台詞が多いことが異例なのも了解済みで、書いております。
もし余裕があれば、来年3月に戯曲賞へ応募する際は、台詞の長さは短く調整いたしますので。
【追記】
さて、今、8時過ぎ。文學界新人賞向けの原稿は89枚に達した。
意外に、1年前に書いた箇所はそのままで使える。
少しの補足書きで、文意が正せる。
それと、こんな話だったんだ、と他人事のように感心する。
1年前に書いたことなど、まるで覚えていなかった。
だから、推敲しながら、どうなるんだろうと楽しく読めた。
書きかけ原稿としては、まだ残りは5枚ほどある。
他に書きかけの捨てたメモが20枚ほど。
今日は、西宮大谷美術館へ行く予定だったが、最後まで書き進めようか。
昼までには1次稿ができそうだから。