今月末〆切の文學界新人賞向け原稿が、なんとか6枚目に突入。
けど、問題がずっと発生中。
「傑作じゃないと書く意味がない」
と、ずっと囁く審判者の声が、とにかく喧しいからだ。
そいつと常に格闘しながら、書いている。
結局は、書きながら、「傑作に仕上げればいいだけのこと」。
以上、だ。
ほんとシンプルだ。
ただ、それだけのこと。
書く前に傑作だなんてわかるはずもなかろうに。
で、大江健三郎や滝口悠生など見本としたい小説たちを、ひたすら読み込んでいる。
読み込みといっても、ストーリー展開じゃなく、どう非現実を読み手に納得させているか。
その語り口、その差配スキルがとう発動しているかを、
読み手への距離感を測りつつ、学び取っている。それを確かめて、参照書きすることの方が、悩み煩悶することよりも500倍大事だ。
もちろん、その距離感って、「あなたの感想ですよね」と言われても仕方がない,単なる妄想だ。笑
でも、探っているポイントは間違っていない確信がある。
それって、「現実との距離感」の具合だ、とも思っている。
まだまだ、時に悩み、描くのが止まりそうだけど、なんとなく進めそうな気がしてきた。
きっと20枚も書けば、書き方も安定するかな、と予測している。
なんせ、もと原稿が70枚あるから、ある意味,大船に乗っている。
最悪,プラス30枚の合計100枚ぐらいになった時点で、途中であっても、切り上げればいいだけだから。
難しいのは、一番最初なことは分かっていたことだから。
次に,難しいのはラストだが、それも〆切や期限のある、ロードムービーでいいと思って、〈企み〉を入れているから。
で、ちょっと横道は逸れると、
どうやら、僕の中の審判者くんは作戦変更したんだ,と感じます。
今までの何十年と僕の小説捜索のヤル気を削いできた、【ストーリー展開の呪縛】から、
僕自身が状況下書きだとか、人物間対峙などで、逃れられた、と判断したようだ。
今,ロードムービー設定でやろうとか、これとこれの人物間対峙で書けばいいから、と精神的に解放されて、書けそうに思っていたら、
すごく気が楽になった。
プレッシャーが弱まって、なんとか書き継いでいけそうな算段が立ちはじめた。
すると、
まだまだ自力(の才能)で書かないといけない、【自力(才能)主義縛り】が強くなった気がする。
とにかく、書くのを辞めさせたい審判者くんは、今度は、この【縛り】に武器を変更して、辞めさせる算段にしたらしい。
「お前には本物の才能などない。それは偽物だ。だから、書くな。書いてはいけないぞ」
そう叫んでいる気がする。