書きながら苦しむ選択。新たな敵、【自分才能主義の縛り】の登場 | 読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

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文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

今月末〆切の文學界新人賞向け原稿が、なんとか6枚目に突入。

けど、問題がずっと発生中。


「傑作じゃないと書く意味がない」

と、ずっと囁く審判者の声が、とにかく喧しいからだ。


そいつと常に格闘しながら、書いている。


結局は、書きながら、「傑作に仕上げればいいだけのこと」。

以上、だ。


ほんとシンプルだ。

ただ、それだけのこと。

書く前に傑作だなんてわかるはずもなかろうに。

で、大江健三郎や滝口悠生など見本としたい小説たちを、ひたすら読み込んでいる。


読み込みといっても、ストーリー展開じゃなく、どう非現実を読み手に納得させているか。

その語り口、その差配スキルがとう発動しているかを、

読み手への距離感を測りつつ、学び取っている。それを確かめて、参照書きすることの方が、悩み煩悶することよりも500倍大事だ。


もちろん、その距離感って、「あなたの感想ですよね」と言われても仕方がない,単なる妄想だ。笑


でも、探っているポイントは間違っていない確信がある。


それって、「現実との距離感」の具合だ、とも思っている。

まだまだ、時に悩み、描くのが止まりそうだけど、なんとなく進めそうな気がしてきた。


きっと20枚も書けば、書き方も安定するかな、と予測している。

なんせ、もと原稿が70枚あるから、ある意味,大船に乗っている。

最悪,プラス30枚の合計100枚ぐらいになった時点で、途中であっても、切り上げればいいだけだから。


難しいのは、一番最初なことは分かっていたことだから。

次に,難しいのはラストだが、それも〆切や期限のある、ロードムービーでいいと思って、〈企み〉を入れているから。


で、ちょっと横道は逸れると、

どうやら、僕の中の審判者くんは作戦変更したんだ,と感じます。


今までの何十年と僕の小説捜索のヤル気を削いできた、【ストーリー展開の呪縛】から、

僕自身が状況下書きだとか、人物間対峙などで、逃れられた、と判断したようだ。


今,ロードムービー設定でやろうとか、これとこれの人物間対峙で書けばいいから、と精神的に解放されて、書けそうに思っていたら、

すごく気が楽になった。

プレッシャーが弱まって、なんとか書き継いでいけそうな算段が立ちはじめた。


すると、

まだまだ自力(の才能)で書かないといけない、【自力(才能)主義縛り】が強くなった気がする。


とにかく、書くのを辞めさせたい審判者くんは、今度は、この【縛り】に武器を変更して、辞めさせる算段にしたらしい。


「お前には本物の才能などない。それは偽物だ。だから、書くな。書いてはいけないぞ」


そう叫んでいる気がする。