昨日、やっとこさ、数行でも長編小説へ向け書きはじました。
これで、現場に立てたので、10枚でも書けば、各モードへ入れると思います。
それと、神戸市の中央図書館のある大倉山へ行って、ラノベ関係の研究書を数冊、借りてもきました。
前に、榎本秋さん関係やらで、ラノベについては書き方はよく研究した経験があるけど、その歴史やジャンル特性を、
他の研究系の書物も知っているかというと、そうじゃなかったからね。
やるなら、ある程度は知ってます、じゃなくて、その裏表まで徹底的に知っておきたい、と僕の中の研究者魂が主張してやみませんから。
さて、そんな気づきを日記にはこう書きました。
以下、抜き書きします。
* * * * * *
昨日、『悪役令嬢レベル99』3巻を分析していて気づいたことがある。
児童文学の縛りだ。
本作には、それがない。
冒頭から、素気ないほど淡々と短く状況説明または描写しかなくて、かつ、すぐ出来事になっている気がする。
実は冒頭の章で、児童文学の場合、友人や家族などの日常生活紹介や、トラウマ欠如を必ず入れているが、
お涙頂戴的な凡庸な展開の強要になっているケースが多い。
それを、僕はある種の縛りとして、無意識のうちに自分へ「書く際の義務化」していたんだ、と気づく。
(それって、ほぼ【ストーリー展開の呪縛】の一環なのに、今まで全く気づけなかった。
児童文学者って、変に教育ぶるから、それを押し付けてくる。
それが児童文学界の縛りでもあるし、業界の限界、衰退原因なのではないだろうか。
応募を考えている、ちゅうでん児童文学新人賞にはその限界縛りがありそうで、
対して、講談社児童文学新人賞ではもっと大きなヒットを狙う許容性がありそうだ。
僕は、この、児童文学界に留まらないスタンスで挑もう。
ジャンル横断こそが僕の本質なんだな、と自覚しておきたい。
すごく大きな規模で、凄い高みを目指してみたい。
なんか急に、大志を貫きたくなった)
無限スタートに対してのある種の物語スタートの発想対抗策なんだけど、全くの無駄で、かつ凡庸化になっていると気づかされた。
それを必ず描こうとするから、すごく制限になっているな。
なら、今回の場合は、『悪役令嬢レベル99』に倣いつつも、乱暴で丁寧でない素気なさの批判は回避する程度には、少し描写を丁寧に加えてやってみたい。
または、出来事を入れてから、過去へ戻り描写する。
ターゲット年齢層をずらせば、低学年対応や配慮は不要だ。
『銭天堂』の、冨安さんと比較してみるべきか。
(この発想を持てたのは、この『悪役令嬢レベル99』の、面白さの成立見本のおかげだな。
または、〈読み手ファースト〉とは読み手に迎合するのではないと思うからだ。
読み手を認識できて書く目標・検証対象にできることであり、すると、
そこに、読み手の理解度への信頼や敬意を持てるものでもあるべきだとも思えたからだ。
低学年は別で。
自分は、大人も読める児童文学を目指すべきだと感じるから)
よし。
ガガガ文庫でもカクヨムでも、一度、ライトノベルへ出してみようか。
(これは、今はもっと後、11月以降を考えています)
とにかく、最後まで書いて確認しないと何も始まらない。
ライトノベルと、純文学と、エンタメの都合3種類、書いてみようか。
ぐずぐず反省、ズブズブ内省をやめる訓練になる。
* * * * * * *
で、16時少し前、踏ん切りつけて、落選作の改作を4行だけ開始した。
これ以上、いくら迷っても結果はそう変わらないから。
今の持てる力と気づきメソッドで書いてみること。
いつもの書けない地獄に入っちゃわないことが一番。
書きたいテーマを、それこそ、普段書いている学ビストや、抽象化にして、「目的地モヤモヤ」に設定した。
すると、覚悟と同時に方向性、着地点を漠然とでも決められたから、なんとなく書き切れそうな気がした。
最後まで書き切って見せることが第1作業目標で、応募が第2作業目標だ。
今回はとにかく書き始めることが大事だから、書きながら因果プロット背景をどんどんと考察構築してみようか。
やってみます。