さて、この記事のちょうど前で報告した姫路文化国際交流財団の「初心者のための演劇講座」の第2日が、
7/26(日)に姫路市立手柄山温室植物園で行われ、受講してきました。
1日目の様子は以下のnoteやこのブログにも、まとめております。
また、この2日目の様子も、以下のように書いていますので、詳しく知りたい方はそちらへも飛んでください。
今日は、そことは重複しない形で、8/6までの課題として出された戯曲そのものについて書きます。
さて、その課題の戯曲だが、2幕目に入って、原稿用紙8枚分ほどを、今、順調に書いている。
コメディにしたから、読者向けだけでなく、自分も愉しんで書いている。
ほんと楽しい。
小説で言う描写の地の文は必要最低限のト書きの2行ほど以下に限定しているから、
単にセリフで会話を書くだけでなく、書かれていない人物間のやり取りに集中できる。
(つまり、自然と【読み手ファースト感覚】で考えているし、描けるんだよね)
逆に言うと、いつもは地の文中心に考えてしまい、結果、書けば書くほど【読み手ファースト縛り】が成立していたんだ、
とすごくよく体感できた。
メインが一見、会話になっているだけのようだが、そうじゃない。
会話を通して垣間見える、
【状況下にある人物間関係とそこから派生する場、並びに状況変化】なんだと痛感できた、と言うこと。
それは言い方を変えると、メインのストーリーとは全く無関係に、
人物間で漫才のようにコメディっぽくプチ物語をサブでどんどん織り込めるので、書きやすい。
コメディでなくとも、本来、人物間の緊張やら、個性の攻守(?)やらがサブでリアル世界でも背景にあるはずなんだが、
僕は全く(ではないと思うけど)描く方法がわからなかった、いや、それらを地の文単独で描くから説明になっていたんだ。
それを、今回、はっきりと自己認識できた。
これ、今、たかだか2幕分の途中、原稿用紙8枚ぐらいしか書いていないんだけど、もうエボリーションが完了してしまっている。
詩が自分にも描けるんだ、と発見した、あの’16年12月以来の、《回天》と言っていいほどの変容が、
蛹が蝶にメタモルフォーゼして大空へ舞い上がったような革新が、僕の中で起きてしまった気がする。
だって、人物間のやり取りが、どんどん次のアイデアを生み出し、さらに前の描写やシーンを伏線的に回収し、
広げてゆくのを思いつくんだからね。
思えば、
小説創作の際も、設定が進むと、会話だけが先に浮かぶ時もあったっけ。
だから、これ自体は初めての体験ではないんだけど、いつもは、何十枚や百枚近く書かないと起きない現象だったんだよね。
いつもは無限との勝負で苦しむ書き始めで、ひと月や何ヶ月も苦しむ。
なのに、今、見えない転移魔法陣を見つけたような、最短バイパス道路に乗せてもらった気分になる。
凄いね。
あと、この体験をした上で、参考書として、大掃除中にたまたま見つけた、この本。
何度も同じことを繰り返すけど、『シナリオを一度あきらめた君へ』という本は、ほんと見つけ物だった。
シナリオの書くヒントも的を射たものだし、何よりも特別なものではなく、日々の生活感やモチーフから描く姿勢が素晴らしい。
平凡な生活の素晴らしさを教えられ、信じ、凡才でも書いていいんだ、勇気づけられている。
書名通りに、もう一度諦めず、書いてみようと言う気にしてくれる。
本の内容は、12年前ですっかり忘れていたのに、ラインをいっぱいひいて、付箋もいっぱい付けて、
捨てずに置いていた過去の自分に、感謝したい。

