さて、今日はお休み。
昨日、ジムへトレーニングへ行ったから、今日は1日、家で「ダラダラ」できる。
色々とやりたいことが、読んで「酔いたい」本が無数にあるのに、何の行動も起こさない日々に、いい加減飽き飽きしてきた。
ひたすら、読み散らし、そして、いろいろと解析し、完成しなくていいから、とにかく書き散らす1日に、今日はしようと思う。
「長編小説としての、完璧な第一歩を書こう」
「長編は、先の先まで見通さないと、後で困るから、ちゃんと構想を準備してから。
いや、それが無理なら、それなりに手応えを得てから」
「詩は、今までの自分とはまるで違う詩篇を書き出してみよう」
どれもこれも、正論だ。
しかし、正論を振りかざすと、失敗できなくなってしまう。
だから、結果、書けないでいる時間が多すぎる。
かといって、闇雲に書いても、ほんと、ただの失敗をするだけ。
これは歴然とした事実。
これも書かない、行動しない理由になる。
で、意図しない「ダラダラ」「ダメダメ」な1日をずっと繰り返してきた。
けど、今日は意図して「ダラダラ」読みと、「ダラダラ」書きをしようと決意している。
ただの「ダラダラ」じゃない。
ちゃんと、見本となる、あるいは、根拠となる書籍を読んでの「ダラダラ」であり、未完成のまま前提である。
「ちゃんと完成」しようと思うから、書けなくなるからね。
詩は、新刊を買って、手に入れていた、入沢康夫の『詩の構造についての覚え書』に沿った、方法論で、解析した詩を書く。
小説は、とりあえず手元の小説を手本に解析した結果を、試し書きしてみる。
1種類じゃない、何種類も試し書きする。
⑴エンタメ系のファンタジーで、展開しない、短編集合体的な状況設定で、児童文学っぽいもの
⑵上の⑴に似ているが、大人向け、一般的なファンタジー系の日常を絡めたもので、ちゃんとストーリー展開するもの
⑶エンタメ系だが、非ファンタジーで、ミステリーっぽさは隠れているけど、ミステリー様相でストーリー展開するもの
とりあえず、この「ストーリー展開」する・しない点と、ミステリーぽさをづ絡めるかが課題。
そのうちの一つ、児童文学のあるファンタジー本を、ブックオフで買ったけれど、手元に届くまで日があるから、
それが届くまでの繋ぎで、神戸市図書館から本を借りてきた。
これは、最初からストーリー展開でなく、〈鳥の眼・解析力〉で読み手効果や書き手意図を解析して、今「読んで」いる。
これ、正確には読んでいないのだが。
そのストーリー構造の向こうにいる読み手の反応と、それを置いた作者の意図を解析しているだけ。
ストーリーを読むのとは、まるで違うものが出てくる。
これが〈鳥の眼・解析読み〉だ。
日々、研究系の評論を読む時には、常時、発動してしまうお馴染みさんなのだが、文学系の本では、休止させている。
そいつを、今日はフル活動してから始めるつもり。
僕の最大の強みは、この〈解析力〉と、それと連動しつつも、現場(紙面上)で働く(詩を書く時と同じ)ことば感覚の二つだと思っている。
それらを融合して、自分が長編小説を書く際に転用できれば、何とか結果は出るんじゃないか、と思いついたわけです。
このパターンは、理屈では簡単にわかるんですが、いくら解析しても、それを具現化するのは簡単じゃない。
でも、去年よりは、そして今年初めよりは、ちょっとずつは出来ていると信じたい。
けど、その際に、注意すべき最も恐ろしいのは自分自身だ。
すぐヤル気だけで書こうとして、猪突猛進して玉砕するから。
結果、その失敗の積み重ねが、想念上の仮想敵(=自分の分身として、僕の中にいる、口先だけの審判者)と対峙して、
その評価や揚げ足取りな正論に負ける、実績や証左になっている。
これが現状だ。
それって正しくないのではないか。
僕の実力を性格ん反映していない、と考えている。
小説を神格化しない。
あるレベルまでは分析で到達できるメソッドものである。
アクセス数は、やはり、昨日、22時で350あったのに、今朝は134でした。
