アクセス数の話と、夏季の長編小説の創作計画について | 読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

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文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

時々、ここでアクセス数がリアルな時と、集計後の翌日の表記がかなり違うことに触れていましたが、

調べると、リアル表示は単純にアクセス数をカウントしていて、翌日の集計はボット数(要はロボット的な無人アクセス)を除外しているみたいです。

 

ただ、それが、つまり、ボット数が急激に近年、増えていると想像できるので、感覚的に違和感を持つほどになった、

というのが真相だろうと類推できました。

例をあげると、リアルで「147」前後だったのが、翌日は「85」になっているとか、おおかた40%近く減少していたんですね。

 

実は、昨日のリアルのアクセス数が、夜22時ぐらいで400を越え、450あたりまで伸びていました。

ですので、今日、一体、いくらになるのか、楽しみにしていました。

 

で、結果、今日は「74(!)」でした。

なんじゃ、そりゃあ ですね。

 

さて、もうすぐ休業期間で、7月の仕事へ行く時間も限られてきました。

 

*夏季の長編小説の創作計画について

 

小説現代新人賞へ向けての執筆も8枚あたりで、停滞しています。

もう7/31までに250枚はさすがに無理だと思って、モチベーションが霧散しています。草

 

かといって、自分を責めてばかりもいられないので、児童文学の落選作を書き直して、

それを応募できる、「ちゅうでん児童文学賞」か、ネット公開されてしまう「角川つばさ文庫小説賞」あたりを考えています。

 

過去に書いたものを、現代のスキルで甦らせると、どうなるか、のお試しですね。

昨日も書きましたが、僕自身もこと小説のスキル面でも、この’26年2月以降の演劇的な〈読み手ファースト感覚〉の体得だけでなく、

幾つもの変容・変身を繰り返して、脱皮しているので、’23年に書いた作品など全く別物にできると思います。

 

現状の、対:長編小説への把握ポイントはこうです。

 

①どうしても、長編小説をく前に100%確かな目標点が絶対に事前に要ると思い込んでいるが、

詩でも、絵画・彫塑系でも100%描きながら、画面や状況、作品世界と「対話」しながら具現化している。

つまりは、詩や絵画作品と同じ書き方でスタートすればいい。

 

《仮構条件始まり》の不確定スタートするべきなんだよ

 

②さらに、【読み手ファースト】は人物と状況を「紙面上」から読み手へアプローチしている。

読み手と対峙できるのは、この紙面上からしかルートはない。

それなのに、今までの僕はそれを無視して「書き手=自分」で完結しようとしている。

それは結果的には、想念世界に閉じこもって、読み手の声を聞こうとしてないんじゃないか。

(それで、書けないと苦しむのは馬鹿げている)

 

演劇・戯曲はその身体性もあって、仮構条件的な舞台が必須な気がする。

(=リアリティを保持しているので、非想念であり、実感想起しやすい)

つまりは、演劇・戯曲的な感覚を保って、シーンごとに、その舞台の一幕を完成させつつ書けばいいんだ

 

この二つの認識だけでも、’23年の時とは、相当違うんですよ。