時々、ここでアクセス数がリアルな時と、集計後の翌日の表記がかなり違うことに触れていましたが、
調べると、リアル表示は単純にアクセス数をカウントしていて、翌日の集計はボット数(要はロボット的な無人アクセス)を除外しているみたいです。
ただ、それが、つまり、ボット数が急激に近年、増えていると想像できるので、感覚的に違和感を持つほどになった、
というのが真相だろうと類推できました。
例をあげると、リアルで「147」前後だったのが、翌日は「85」になっているとか、おおかた40%近く減少していたんですね。
実は、昨日のリアルのアクセス数が、夜22時ぐらいで400を越え、450あたりまで伸びていました。
ですので、今日、一体、いくらになるのか、楽しみにしていました。
で、結果、今日は「74(!)」でした。
なんじゃ、そりゃあ ですね。
さて、もうすぐ休業期間で、7月の仕事へ行く時間も限られてきました。
*夏季の長編小説の創作計画について
小説現代新人賞へ向けての執筆も8枚あたりで、停滞しています。
もう7/31までに250枚はさすがに無理だと思って、モチベーションが霧散しています。草
かといって、自分を責めてばかりもいられないので、児童文学の落選作を書き直して、
それを応募できる、「ちゅうでん児童文学賞」か、ネット公開されてしまう「角川つばさ文庫小説賞」あたりを考えています。
過去に書いたものを、現代のスキルで甦らせると、どうなるか、のお試しですね。
昨日も書きましたが、僕自身もこと小説のスキル面でも、この’26年2月以降の演劇的な〈読み手ファースト感覚〉の体得だけでなく、
幾つもの変容・変身を繰り返して、脱皮しているので、’23年に書いた作品など全く別物にできると思います。
現状の、対:長編小説への把握ポイントはこうです。
①どうしても、長編小説をく前に100%確かな目標点が絶対に事前に要ると思い込んでいるが、
詩でも、絵画・彫塑系でも100%描きながら、画面や状況、作品世界と「対話」しながら具現化している。
つまりは、詩や絵画作品と同じ書き方でスタートすればいい。
《仮構条件始まり》の不確定スタートするべきなんだよ。
②さらに、【読み手ファースト】は人物と状況を「紙面上」から読み手へアプローチしている。
読み手と対峙できるのは、この紙面上からしかルートはない。
それなのに、今までの僕はそれを無視して「書き手=自分」で完結しようとしている。
それは結果的には、想念世界に閉じこもって、読み手の声を聞こうとしてないんじゃないか。
(それで、書けないと苦しむのは馬鹿げている)
演劇・戯曲はその身体性もあって、仮構条件的な舞台が必須な気がする。
(=リアリティを保持しているので、非想念であり、実感想起しやすい)
つまりは、演劇・戯曲的な感覚を保って、シーンごとに、その舞台の一幕を完成させつつ書けばいいんだ。
この二つの認識だけでも、’23年の時とは、相当違うんですよ。