小説現代新人賞の応募原稿か、5枚目に突入しました。
書き出し、冒頭に普段の仕事の内容を深く反映させました。
同時に、〈学びスト〉らしく、日本の古典作品を論じるもの入れて、深読みもできる展開にできたのです。
これ、気持ち主体の1人称固着でなく、「出来事」主体にした外形描写が自然にできる距離感の書き方になっていました。
ある意味で、普段、このブログで書いている話題や、〈学び〉体験を書く、日常の完璧な延長線上の展開なんですね。
一切の不自然さがない。
これなら、目標の250枚まで、あと40日ほどでも行けそうな気がしています。
書く素材なら、いままでの体験からのズラシや発展型でも,いくらでも書けそうですから。
この路線、この距離感でなら、世界観が作品ととも拡大して、
自分自身も描きながら、新たな発見がどんどんできそうに思います。
今までの苦吟しながら冷や汗をかくものとは、全然違う。
どんな題材をも取り込む「鵺的な柔軟さ」がブログ的な気やすさた、完全に連携している気がする。
何よりも、読み手への楽しませる発見ポイントの自然な提示と、
それが及ぼす人物の理解や人物情報の開示、そこからの一般他者との違いも自然に描けます。
また、会話と地の文との相互誘導と補完も描きやすさを補って筆を滑らせるように、挿入できる。
また、この場合なら、きっと現代人と古典世界の感覚のズレ・差異も知的な発見を読み手へもたらすはずだ。
文字通り、今までの仕事と同じ感覚と効果で考えられるから、
その何十年もやってきた、読み手を「クライアント」に見立てた展開も、おそろしくスムーズに脳内計算できる。
もしかして、自分が求める「読み手ファースト」って、こういう効果を狙う「見立て」でよかったんだろうか。
それなら、当然ながら、既に十二分に保持しているものだ。
ちょっと位相やベクトルを微調整すればいいだけ。
怖いぐらい簡単だ。
もちろん、これはエンタメ系作品だから、純文学系を書く時には、
書き方を変えるつもりでいる。
けれども、元は同じ小説なので、きちんと〈読み手ファースト〉感覚を身につけられたら、
きっと、いい意味での〈書き手ファースト〉感覚も使えるようになると思います。
また。何より、7/19・26の土曜日には、「初心者のための戯曲講座」ワークショップを、姫路で,受講しています。
そこからの感覚的、発想的なフィードバックも、すぐ使えるかどうかはともかく、影響はあるはずで、
すると、この小説現代新人賞作品も大きく上振れして変容することも、予想の範囲内です。
7/19までに何枚書けているでしょうね。
自分でも、「怖い」と思うぐらい変身してしまうかもしれません。
