今日は午前から少しお昼過ぎになるだろうと、仕事を予測している。
たぶん、早めに帰れるだろうけど、未定。
ところで、表題の通り、緊急で告知します。
先生の小説講座に何年も前から参加しているので、
何度もお話させていただいている有栖川先生の講演会です。
ただし、6/5(金)平日の午後なんですが。
僕のはたまたま午前中の仕事の日でした。
しかも、代金が、500円とは。
格安すぎる。
たぶん、西宮市からの補助金が出ているんだろうとは思います。
市政100年行事の一環らしいので。
僕は,神戸市民なのですが、西宮市立図書館も相互運用とかで。借りられるんです。
西宮市が勤め先だったこともあり、ときどき西宮北口図書館ほかへ出かけます。
イベントカレンダーを見ていて、微かな1行から発見しました。笑
この西宮文学案内の講座は、ときどき参加させていただいておりますのて。
その講師名も書いていなくても、何かしあるんだ、と,ネット検索をしたわけです。
さて、昨日の毎日文化センター講座の続きの話です。
昨日、毎日文化へ出向くと、受講生がお一人お休みで、
僕を含めても3人でした。
教材は、事前に指定された中島敦『李陵』でした。
一方的な講義ではなくて、受講中に、受講生が感想を求められます。
僕はぐだぐだと解析結果を交えて具申しますが、もちろん、ふつうの感想で構いません。
(奥先生も、僕の創作者ポジションは理解しておられますので)
僕自身は、先月の「山月記」との関連で読み解くことで、その語りの絶妙な巧さがよくわかりました。
これ、「李陵」単独の読みでは、絶対に到達出来なかったものだったので、
こうしたセット読みの面白さを強く感じられました。
僕には、この作品『李陵』の三人の人物、李陵、司馬遷、蘇武が、
『山月記』の主人公李徴の三分割な分身に思えて、そのアイデアにすごく興奮しました。
中島敦は、両作品で、運命の前の無力な人間を描きたかったんだな、
と、初めて実感できました。
でも、今回、こうした主人公「李陵」視点の感想や講義でのやり取り、そのものも興味深かったのですが、
僕的には、『李陵』の内容に入る前の、奥先生の近代文学に関する言葉が最大の驚きでした。
ハッ、と大きな気付きを得ました。
それは、先生による、トルストイの『アンア・カレニーナ』からの引用の言葉に始まります。
「幸福な家庭はみなよく似ているが、不幸な家庭は皆それぞれに違う」。
そこから、先生は、
「文学は失敗や挫折をだから描くんだ」と続け、さらには「失敗こそ人間の生きる価値や美しさを描けるのではないか」と結ばれました。
「至言!」
と思いました。
今の僕のには、至言すぎました。
なぜなら、僕は、何度もここで書いていいように、無意識に「展開」ばかり追い求めているので。
もちろん、失敗も描いてはきたんですが、
果たして、その価値や美しさ、人間の姿をシーンとして描こうとしてきただろか。
いや、してませんね。
全然。
展開と、どう終わるかばかり,気にしていた。
失敗シーンも、単なる通過点として描き、展開としてのラストを盛り上げて描くことばかり考えてきた気がします。
ああ、これ、生で聞かないと、その凄さがわからないと思います。
創作者の方にはぜひ聴いてほしい授業でした。
本来,僕が想定すべき読者とは、奥先生のような方なのでしょうね。(畏れ多いことですが)
全然、そうじゃない、ダメダメ読者、名無しの権兵衛さんしか、
僕は想定してなさそうです。
自分のアホさ加減に、がっかりでした。
来月は、山本周五郎の「さぶ」です。
20代に読んで,号泣した作品で、周五郎では一番好きです。
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