さて、日程が被っていた先に、断りを入れました。
ですから、今のところ、昨日、ここで紹介した「初心者のための戯曲講座」に無事、行けそうです。
2・3、知り合いや関係先に、この講座の案内と紹介をしました。
京都芸術大学の文芸サークルgrafでは応答があったけど、友人に送っても「とんでもない」と言いたそうな反応でした。
他のケースでの知り合いもそうだし、創作って、みんな、端から否定されるんですけど、とんでもないことなんですかね?
本当に「特別な才能」がないとダメなんですかね?
それって、才能天授主義で、選ばれた人だけがやるっていう意識なんですが、
たとえば、水泳や自転車って、誰もが適切な訓練をすれば、ある程度できるじゃないですか。
けど、文学はそうじゃない。
誰もが生活の中で使う、読み書きできる文字なのに。
同じように、絵も音楽も同じ対応ので、それもわかりますよ。
だって、音楽が全くできない僕からしたら、その拒否反応は理解できます。
でも、無謀な僕は、今は亡き神戸・元町のヤマハのポピュラー・ミュージック・スクールのアルトサックスに、
20代はじめの社会人になって習いに行った経験がありました。
僕は60代ですが、同世代の友人で、SNSも一切やらないという方もいるので、
それも不思議です。
このAmebaブログは、2012年ごろから
書いていて、今でこそ毎日,書いていますが、
当初は、メインに使っていたのはmixiで、ここは東洋大学通信の勉強の備忘録でした。
忌避感のある方は、0%か、100%か、の選択しかない意識が根強い気がする。
根っからの学ビストな僕の、「コツコツと積み上げてなんぼやん」という感覚は、
異常なんでしょうか。
今度やる「文学ことはじめ」教室での、詩やエッセイも適切な誘導で、開花する確信はあるけど、
本人が阻むと、無理だからな。
もちろん、この進歩を拒む、矛盾した意識つまて、他人事じゃないです。
今、取り組んでいる、永井荷風新人賞もなんとか9枚目まで来たけど、
「(才能ないから)無理だよ」
「(才能ないから)また失敗だから」
と、ネガティブ反応は自分の中にもしっかりとありますからね。
さらに、今、迷っているのは、この声たちがあること。
「〆切5/31は,無理たんから、他の賞へ回そうよ」
「不完全な作品を出しても無駄だから、もっと完成度を上げでから応募しろよ」
前に書いたように、月末に放送大学の北海道スクーリングがあるので、
実質的な〆切は、5/29(金)なんです。
あと、12日。
1日8枚程書けば,完成できそうなんですね。笑
もちろん,【ストーリー展開の呪縛】に従った、適当な作品でいいなら、充分、書ける日数だし、枚数なんですが。
でも、目指すべきは、無難な落選作じやなくて、
ある意味、展開破綻していていいから、新機軸な作品なんですよ。
うーん、です。草
今日は一日,仕事で何時に帰れるか、全く不明です。