さて、不思議に感じること,あれこれ。「積み上げて、なんぼ」って変? | 読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

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文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

さて、日程が被っていた先に、断りを入れました。

ですから、今のところ、昨日、ここで紹介した「初心者のための戯曲講座」に無事、行けそうです。

 

2・3、知り合いや関係先に、この講座の案内と紹介をしました。

 

京都芸術大学の文芸サークルgrafでは応答があったけど、友人に送っても「とんでもない」と言いたそうな反応でした。

他のケースでの知り合いもそうだし、創作って、みんな、端から否定されるんですけど、とんでもないことなんですかね?


本当に「特別な才能」がないとダメなんですかね?

 

それって、才能天授主義で、選ばれた人だけがやるっていう意識なんですが、

たとえば、水泳や自転車って、誰もが適切な訓練をすれば、ある程度できるじゃないですか。

けど、文学はそうじゃない。

誰もが生活の中で使う、読み書きできる文字なのに。

 

同じように、絵も音楽も同じ対応ので、それもわかりますよ。

だって、音楽が全くできない僕からしたら、その拒否反応は理解できます。


でも、無謀な僕は、今は亡き神戸・元町のヤマハのポピュラー・ミュージック・スクールのアルトサックスに、

20代はじめの社会人になって習いに行った経験がありました。


僕は60代ですが、同世代の友人で、SNSも一切やらないという方もいるので、

それも不思議です。


このAmebaブログは、2012年ごろから

書いていて、今でこそ毎日,書いていますが、

当初は、メインに使っていたのはmixiで、ここは東洋大学通信の勉強の備忘録でした。


忌避感のある方は、0%か、100%か、の選択しかない意識が根強い気がする。

根っからの学ビストな僕の、「コツコツと積み上げてなんぼやん」という感覚は、

異常なんでしょうか。


今度やる「文学ことはじめ」教室での、詩やエッセイも適切な誘導で、開花する確信はあるけど、

本人が阻むと、無理だからな。


もちろん、この進歩を拒む、矛盾した意識つまて、他人事じゃないです。


今、取り組んでいる、永井荷風新人賞もなんとか9枚目まで来たけど、


「(才能ないから)無理だよ」

「(才能ないから)また失敗だから」


と、ネガティブ反応は自分の中にもしっかりとありますからね。


さらに、今、迷っているのは、この声たちがあること。


「〆切5/31は,無理たんから、他の賞へ回そうよ」

「不完全な作品を出しても無駄だから、もっと完成度を上げでから応募しろよ」


前に書いたように、月末に放送大学の北海道スクーリングがあるので、

実質的な〆切は、5/29(金)なんです。


あと、12日。

1日8枚程書けば,完成できそうなんですね。笑


もちろん,【ストーリー展開の呪縛】に従った、適当な作品でいいなら、充分、書ける日数だし、枚数なんですが。


でも、目指すべきは、無難な落選作じやなくて、

ある意味、展開破綻していていいから、新機軸な作品なんですよ。


うーん、です。草


今日は一日,仕事で何時に帰れるか、全く不明です。