まだ、永井荷風新人賞の改稿作業に入っていません。笑
でも、いつものように、あれこれ、迷ってのことではありません。
朝、四時に、これはいつものように猫のもんちゃんに起こされて、
でも、しばらく2時間ほど起きずに横になって、あれこれと考えておりました。
その後に、朝食を食べた後も、ずっと考えこみ、8時半前ぐらいからは立松和平作品の短編「海のいのち」を読み直して、
福島での放送大学のスクーリングで解析した、自筆のメモを読んだり、「ああ、立松和平の短編集を買おう」とさっきまで検索。
無事、ブックオフで3冊ほど注文できました。
立松和平の短編「海のいのち」は、放送大学の面接授業「言葉の発達と読みの科学」でとり扱われたもので、
授業では、感想を聞かれた程度だったんですが、僕が勝手に深く分析してしまっていました。
すごく面白かったんですね。
これ、このブログでも前に書いたかもしれませんが、原稿用紙8.5枚ほどの短編です。
どうやら童話として絵本で発表されたものみたいですが、いわゆる幼年向けの童話というより、大人向けの小説という体裁です。
僕は知らなかったのですが、小学6年生の国語の教科書に載る定番作品みたいなんです。
確かに、童話として読むには、少し不親切で、その分、読み手が想像できる空白が多く、いろいろな解釈が可能な作品です。
ネット上や、このnoteでも教材として扱われた記事や研究文が多くあります。
正直、僕にとっての立松和平さんは作品もチラ読みしかしたことがなく、存命中に久米宏のテレ朝「ニュース・ステーション」に出演してくる、
方言で喋る、自然環境をバックにした中継動画の作家でしかありませんでした。
出ている番組が番組なので、少し知っている文学の活動歴も併せて、左翼活動家のイメージですね。
この「海のいのち」も自然がテーマなんですが、政治色もなく、小説と物語の中間的な作品になっていて、すごく心に残りました。
とえも9枚もない作品とは思えない深さを感じました。
この、放送大学の面接授業「言葉の発達と読みの科学」は、本当に示唆に富む授業で、さまざまな問題点を、こちらへ問い掛けつつ、
でも答えそのものは部分的で、受講生自体が考えてね、というスタンスの授業でした。
今、僕が考えているのは、この作品や、この面接授業や他の講座や、面接授業で学んだ事柄、額賀澪さんの著書で体感したことを、
ミキサーにかけて、融合させる。
それに基づいて、前記の「永井荷風新人賞」の、去年の落選原稿を改稿する事です。
学んだこと、全部が反映できるわけは全体、あり得ませんが、すごく「書きたい欲求」が今、渦巻いています。
失敗してもいいので、やってみたくて仕方ありません。
ところで、朝、横になったまま、最初に熟考していたのは、この件じゃなかったんです。
なぜか、自分の、ここ数年間を思い起こして、今と比較分析していました。
で、振り返った際に、果たして、自分はまず、いつから文学者意識を持ったのだろうか、という疑問が沸々と湧いてきて考え込んでいたんです。
もちろん、去年の’25年には詩人意識は完全にありました。
その前年の、’24年でも、第二詩集『さよなら 家康』を出した11月の時にも、記憶があやふやながら、その片鱗はあったでしょう。
また同年の「新しい詩の声」を受賞連絡を4月にもらい、その授賞式の7月には、「これで詩人を称号として、使っていいな」と感じておりましたから。
そこら辺は明瞭に覚えているんですが、その前のプレ文学者意識がはっきりとしなかったんです。
もちろん、’23年3月に、常勤をやめて、極貧な非常勤勤務をしようと決意した際には、無自覚ですが、それを目指していたものの、
本当にそうなれる保証も一切なかったんですから。
ただ、そこを目指す時間が欲しかった。
チャレンジする時間も心の余裕もほとんどありませんでしたから。
きっと、’20年に「ユリイカ 7月号」に投稿欄のトップへ配置された時ぐらいから、もしかして、と思い始め、
’21年9月に第一詩集『ことわり 付喪神』を出した時にも、それへ向かって志向していたんでしょうね。
18年前から、文学創作を始めて、7年前の’19年頃からポツポツと入選・入賞し始めて、その間、仕事が大変で精神的に追い詰められた時でも、
プライベートでの文学活動できたことがある種の救いにずっとなっていた気がしました。
今年は新しい仕事先のせいで、精神的にキツイんですが、この比じゃない大変さを今まで何度も何年も経験してきましたからね。
もちろん、ずっと書き続けても、ほとんど入賞もしない場合や書き方がわからない辛さはずっとあるんですが。
でも、なんで、今日、振り返りたくなったのか、不思議です。

