さて、必死で、落選作を改稿して、全く別物にしようという試み。
自分で作業を強要しながら、「そりゃ、脳もバグるよな」とは思ってしまう。
だって、「書けよ」と命じながら、今までと同じには「書くなよ」と命じるから。
進め、でも止まれ、と矛盾する命令ですからね。
今、改稿作業は14枚目あたりなんですが、半分以上は新規、書き起こしなので、一応、思惑通りなんです。
でも、進む時と、停止中の落差が激しい。
なんせ、順調に改稿しちゃうと、純粋にテニヲハの訂正になってしまって、あまり変わり映えはしないんですよね。
だから、さらさらと書き直していると、「ちょっと待て」とストップさせています。
もちろん、昨日、書いたように、今の3月の’26年バージョンの僕は、12月の’25年の僕とは「別人28号」になっているので、
(しつこいぞ、このネタ。
詳細は昨日のブログで。笑)
書きながら、見えない観客へ向けて演技する役者たちイメージを、登場人物たちを配置しただけでも、かなり違ってきているのでは、事実です。
テニヲハ修正でもかなりの書き直しには、なっていそうだ、と、僕の中の意地悪な審議官も認めてくれているようです。
最悪、あまりアイデアが浮かばなくて、締め切りが迫ってきたら、そうせざるを得ないでしょう。
でも、今回、題名にもしたあるアイテムと、新規の人物を一人、新しく投下しました。
すると、計画通りに、どんどん分岐してゆきます。
書いている感覚的には、書き直しながら、その見えない観客たちに、こう尋ねている感じです。
「どうです。わかりますか? どう見えますか? どう思います?」
こう尋ねながら書いて、そのフィードバックを登場人物たちに、演技指導や演出を書いている感覚でしょうか。
今まで、観客も無視、人物たちにへの演出指導も、まるでしなかった感があります。
まさに書き手ファーストですね。
新規の人物は、空気を読まないキャラなので、とんでもない行動をとる予定ですしね。笑
そうそう、「領域展開」は相手の呪術師次第で、有効にも無効にもなるもんですよね。(おいおい)
「ねえ、これ、どうなるの?」物語・作品世界にも、そうラズねながら、その自律的な流れや意思に沿って、完成させたいと思います。
あっ、そうそう。
実は、高校・(通学制)大学時代の17-22歳ぐらい、僕はさだまさしが好きでした。
土曜日のテレビの歌番組で、さだまさしが出てて、若い別の歌手が彼の曲「主人公」を歌っていた。
この曲、好きでした。
YouTubeで改めて、聴いてみたら、これ、歌中の設定自体が自分の過去を「領域展開」している設定だな、と思いました。
あいみょんの曲もそうだけど、ストーリー性のある歌詞って、自分の現代詩詩人的な読解力で読み直すと、
単なるリスナーであった時には見えなかった、様々なことが「見えて」きます。
創作できるようになって、よかったあ、としみじみと思う瞬間ですね。
自分が「文学こと始め」教室を持ちたいのは、そういった変身をできるだけ多くの人に体験してほしいからです。
創作など、才能のある一部の人だけの特権だ、ではなくて、
いや、やってみたら、意外にできるルートもあるんですよ、と教えてあげたい。
それぞれの人生での、主人公になるような、大きな分岐点になるから。


