「そりゃ、脳もバグるよな」とは思ってしまう | 読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

さて、必死で、落選作を改稿して、全く別物にしようという試み。

自分で作業を強要しながら、「そりゃ、脳もバグるよな」とは思ってしまう。

 

だって、「書けよ」と命じながら、今までと同じには「書くなよ」と命じるから。

進め、でも止まれ、と矛盾する命令ですからね。

 

今、改稿作業は14枚目あたりなんですが、半分以上は新規、書き起こしなので、一応、思惑通りなんです。

でも、進む時と、停止中の落差が激しい。

なんせ、順調に改稿しちゃうと、純粋にテニヲハの訂正になってしまって、あまり変わり映えはしないんですよね。

だから、さらさらと書き直していると、「ちょっと待て」とストップさせています。

 

もちろん、昨日、書いたように、今の3月の’26年バージョンの僕は、12月の’25年の僕とは「別人28号」になっているので、

(しつこいぞ、このネタ。

 詳細は昨日のブログで。笑)

 

 

 

 

書きながら、見えない観客へ向けて演技する役者たちイメージを、登場人物たちを配置しただけでも、かなり違ってきているのでは、事実です。

テニヲハ修正でもかなりの書き直しには、なっていそうだ、と、僕の中の意地悪な審議官も認めてくれているようです。

 

最悪、あまりアイデアが浮かばなくて、締め切りが迫ってきたら、そうせざるを得ないでしょう。

でも、今回、題名にもしたあるアイテムと、新規の人物を一人、新しく投下しました。

すると、計画通りに、どんどん分岐してゆきます。

 

書いている感覚的には、書き直しながら、その見えない観客たちに、こう尋ねている感じです。

「どうです。わかりますか? どう見えますか? どう思います?」

こう尋ねながら書いて、そのフィードバックを登場人物たちに、演技指導や演出を書いている感覚でしょうか。

 

今まで、観客も無視、人物たちにへの演出指導も、まるでしなかった感があります。

まさに書き手ファーストですね。

 

新規の人物は、空気を読まないキャラなので、とんでもない行動をとる予定ですしね。笑

 

そうそう、「領域展開」は相手の呪術師次第で、有効にも無効にもなるもんですよね。(おいおい)

 

「ねえ、これ、どうなるの?」物語・作品世界にも、そうラズねながら、その自律的な流れや意思に沿って、完成させたいと思います。

 

あっ、そうそう。

実は、高校・(通学制)大学時代の17-22歳ぐらい、僕はさだまさしが好きでした。

土曜日のテレビの歌番組で、さだまさしが出てて、若い別の歌手が彼の曲「主人公」を歌っていた。

この曲、好きでした。

 

 

 

 

YouTubeで改めて、聴いてみたら、これ、歌中の設定自体が自分の過去を「領域展開」している設定だな、と思いました。

 

あいみょんの曲もそうだけど、ストーリー性のある歌詞って、自分の現代詩詩人的な読解力で読み直すと、

単なるリスナーであった時には見えなかった、様々なことが「見えて」きます。

創作できるようになって、よかったあ、としみじみと思う瞬間ですね。

 

自分が「文学こと始め」教室を持ちたいのは、そういった変身をできるだけ多くの人に体験してほしいからです。

 

創作など、才能のある一部の人だけの特権だ、ではなくて、

いや、やってみたら、意外にできるルートもあるんですよ、と教えてあげたい。

それぞれの人生での、主人公になるような、大きな分岐点になるから。