基本、このブログでは嘘は書かないと決めている。
少し迷うが、正直に書く。
昨日、半日、午後、受講した京都芸術大学の芸術学舎「場をひらく演劇的コミュニケーションのデザイン」の授業だが、がっかりだった。
じっと我慢して拝聴したが、演劇史のような講義を長々と一方的に聞かされる。
それって、たぶん、芸術学の専門の先生なら、もっと違う形で魅力ある方法で述べられると思う。
(学ビストのプロとして、20年以上、今まで、数多く、座学を受けた経験上。)
ところが、こちらの先生は抽象的な結論へ向けて、やや散漫な感想めいた形で、述べられるから、オチが見えない。
切れ目がよくわからない。
「それ、感想ですよね」「だから?」の疑問が消しきれない。
もっと、具体的な作品や脚本を示して、現場感覚で説明してくれたら、いいのに、安易な知識の受け売りだけでは、僕にはついていけない。
そもそも、こんな座学形式が続くのならシラバスにちゃんと書くべきではないか、と疑問に思う。
羊頭狗肉。
思わせぶりなシラバスで、開けたら、中身がペラペラだったなんて、ショックです。
それって、抽象すぎませんか。
終わり30分ほど、現場での実学ならではの実践例があったので、わずかに救われましたが、僕は撃沈していました。
先生は演劇の監督やら俳優やらをやられた実学系でおられるので、それを織り交ぜてなら、また興味関心も湧くのだろうが、今の形は僕には「苦行」です。
一応、お金は払っているので、少しでも元を取ろうとメモはしますが……。
今日は、ワークショップ形式が入るらしいから、評価が一転して、絶賛になることを期待しますが、それがあっても、この失点は挽回できそうにない。
今回と似たような講義を受けて、(ワークショップが)面白かったという意見があって、受講したものだが、あれはサクラだったのだろうか。
僕なら、最初にワークショップを入れて、受講生に「発見」を与えてから、持論を展開する形式を取るな。
そもそも、コミュニケーションを表題するなら、受け手の反応を考えて、そうやって当然では?
ご自分の持ち味は?
やはり、疑問が噴出してしまう。
悪いが、この先生のものは二度と受講しない。
あまり、合わない教室のことは書かない主義で、スルーするだけだが、今回、あまりにもしんどい苦行で、得るものが薄かった。
おそらく、先生ご自身は気づいておられないだろう。
授業、感想があるなら、それなりに、この実感を書こう、と思う。
1万3,500円は安くないから。
がっかりの受講生を産まないように、減らして欲しい。
きっと、12月毎週、火曜日受講の放送大学のライブWEB「アメリカ文学史1」(講師:宮本陽一郎先生)が素晴らしすぎるから、
余計に、この講義の評価は辛くなるのだろうか。
こちらはわずか、丸々2日で6,000円。
3万5,000円でも納得の、安いと感じる名講義ですが、今度12/23が最終です。
それと、昨日の夕方から夜、某・詩の教室を受講。
詩の教室としては、可もなく不可もなく、及第点。
自作への先生の感想、他の受講生の方の感想に、予測の範囲内と、「なるほど、なるほど」と新たな気づきをもらう。
しかし、詩はもう自力で翔んで、苦しまなければならない段階だな、とも思う。
先生にばかり、過大な要求をしているつもりはない。
もう、巣立つべきなのに、いつまでも巣に陣取るのも罪だと思うから、自力で飛べるのなら飛んで行くべきなのだ。
そうした実力がわかりやすい創作と違って、座学は奥が深い。
それ故に、抽象的で難しいことを言えばいいのではない。
優れた学識ある者は、「難しいことを易しく伝えられる」のは実感しているから。