毎日、考える事がコロコロと変わる。太宰治賞は見送りにしようかな | 読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

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文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

なんか、毎日、考える事がコロコロと変わる。

 

昨日までは、絶対、12/10〆切の太宰治賞を書くのが至上命題だと、固く思っていたのに、

今は見送りにしようかな、に傾き、思い始めている。

まあ、別に自分で仮に思っていた事だから、全然、誰に憚る事じゃない。

 

というのも、今、取り組んでいる群像文学新人賞の実験的な書き方作品。

どうしようか、と考えていたら、どんどん、いろいろなアイデアが出てきて、

事実と無関係な空想的なストーリーよりも、実体験を元にしたエピソードの変形の方が、当たり前だけど、やはり書きやすいと気づいたからだ。

 

元の完全な「非ストーリー展開」主体で書いてもいいんだけど、実体験ベースにすると、ストーリー展開の普通の小説様相にどんどんとなってゆく。

それはそれで、前から書きたかったオマージュ要素満載の教科書小説のアイデアと結びついて書けそうな、展開の見通しが立っちゃったんですね。

その路線なら、きっと、あと50枚近くはサラッと書ける気がしています。

 

じゃあ、とりあえずそれで応募して、落選したら、来年、改稿して、もっと「非ストーリー展開」にすればいいじゃんか、と思ってしまったんですね。

どうせ落選するのなら、好き勝手に書いていいはずだから。

すると、作り込みに、10月下旬まで目一杯使いそうだ。

なら、余計に、11月のひと月で太宰治賞を書くのは無理ゲーだと気づく。

 

うーん、正直、もともと客観的に考えたら、太宰治賞は来年回しにして、

1/10〆切の集英社ノベル大賞と、1/13〆切の創元SF短編賞(プラス、集英社オレンジ文庫短編新人賞)に絞るべき、

のような気がしてたんですよ。

このままだと、どれも共倒れしかねないから。

参加することよりも、受賞の可能性を1%でも高めておくべきだから。

 

ともかく、群像を描き終わったらの、10/31の時点で再検討してみようか。

純文学系へのじっくり取り組みは、3月の新潮新人賞だと、2ヶ月半あるから、そちらで余裕を持ってできるからね。

 

太宰治賞の荒川洋治さんに見てもらいたいのは、魅力的なメリットであるけど、次元上昇力は「新潮」の方が上だから。

今、とにかく、小説の女神が僕の机の前に腰掛けているみたいだから、彼女の気が変わらぬうちに、どんどん書く事が大事だからね。