*7/5(土)のアクセス数301。さて、正念場か。東洋大学の卒業証書 | 読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

昨日、7/5(土)のアクセス数が301でした。

 

さて、昨日は、佛教大学OLCの「村上春樹を読む」第4回の見逃し配信をやっと見終わりました。

 

今回は、’60年代や’80年代文化が『ノルウェイの森』へどう反映しているかがテーマだから、小説創作的にはあまりヒントはなかった。

 

でも、ポストモダン的な立ち位置から、村上文学がこの作品ではっきりと近代文学的な物語(小説)伝統へ入った、というのは面白かった。

非・ストーリー展開的な小説も、村上春樹以外にもあるんだけど、その構成を考える手掛かりになりそうな予感を感じた。

もちろん、これは日高芳樹教授の意図とは違うアプローチだし、知見なんだけどね。

 

この講義は、あと2回あって、次回が7/31、その次が9/11。

「小説とはなんだろう」

僕のこの疑問を、この前受けた東京学芸大学・教授の疋田雅昭教授の文学理論で、こういった文学講座と合わせ技で考えると、

すごく面白いんです。

 

自分の中の、間違った思い込みが白日の元に晒されるから。

 

不器用な僕は、頭で理解し、感覚で体感したものと照らし合わせて、初めて習得できるんですよね。

昨日も来たかもしれないけど、最近、取り組むエンタメ系小説の読み手ファースト感覚って、「面白く筋を書けばいいだけじゃん」では無いです。

様々な思い込みや、小説構造の理屈に反したことを取っ払わないと、少なくとも、僕は小説が本当には書けません。

 

もちろん、そんな理解なくても、キャラがいて、ストーリーが展開さえすれば、「小説っぽい」のは書けますよ。

でも、それ、面白くないし、二度とは読む気にならないです。

当然、入選も入賞もしません。

そのやり方は、18年間、さんざん試しました。

 

僕には無駄です。

 

そのやり方で、「才能」ある人は小説が書けるんですが、才能のない僕は無理だし、無駄な行為です。

ライトノベル・大人向けライト文芸の優れた作品は、それでは書けませんから。

 

故・野村監督が言った「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負け無し」は至言です。

下手な(負け)小説は、不思議でも何でもなく、全部、理屈でダメ出しできるんですよね。

 

今日は小学校の開放教室でのバドミントン・コーチの日なので、午前中は潰れます。

午後は、何とか、ノベル大賞の大賞作品の読解分析をしたいです。

 

ところで、話は変わりますが、

伊東市の女性市長の学歴詐称が話題になっています。

僕も一応、通信制とはいえ、東洋大学の卒業生になるので、気になりました。

卒業証書には、通信制を卒業しても、その文言は入りません。

(写真お隣の、旧:京都造形芸術大学に文芸コース卒業分でもそうでしたし、慶應通信でもそうでしたよ)

伊藤市長も、除籍で東洋大学にこだわるんだったら、通信制に再入学して勉強したらいいのに、と通信オタクの僕は思ってしまいました。

名前と生年月日は消しています。

市長がチラ見させた証書って、他人のもの? それとも偽造したんですか?

名前は、冒頭の生年月日の右横ですから、結構、ガバッと見せないと確認できませんよ。