早稲田大学EXTの疋田雅昭教授の「文学理論」で、物語学・ナラトロジーの全貌がよく分かった。 | 読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

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文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

昨日も早稲田大学EXTの疋田雅昭教授の「現代文学を味わう 文学理論の視点から」を、せっせと見逃し配信で勉強した。

咀嚼して、自分お創作感覚へ落とし込むのがすごく大変で、難しかった。

でも、なんとかやり遂げた。

 

ともかく、今まで物語学・ナラトロジーを聞き齧り状態だったから、その全貌が「本当に理解」できたのは、僥倖だった。

きっと、この落とし込みは、去年の12月までの僕には絶対、無理だった。

 

長編小説の書き方が分かった、現時点の僕だからこそ、真の理解に到達できたように思う。

その意味では、実にうまく情報の「偶然」が組み合わされていると感じた。

つまり、シンクロニシティだよね。

 

自分のいうゲシュタルト表現が、内的焦点化と外的焦点化の差としての、主人公と他の人物の差であること。

その背景としての人物群渦を据えればいいこと。

語り手側の戦略的な情報隠し行為としても物語行為(ナラシオン)であること。

例えば、「羅生門」での、舞台へのアイテムとしての雨や荒廃からの下人の行為もまた因果プロットであること、などなど。

 

自分が普段スキル的に理解したことが、学問的な裏付けと結びついて、より体系化された。

おどろくほど緻密になった。

 

これは、また、具象物と抽象思考の間に架け橋をかけて、往来思考や転換できる今だからこそ、こうしてスキルと学問体系を結びつけられるんだよね。

ほんと、これも4・5月の勉強・理解のおかげだ。

 

 

ところで、少し話を変えて。

BSテレビ東京に「あの本,読みました」の番組がある。

ご存じでしたか?

 

 

ちょっと前の録画を見返していて、、作家背筋さんと鈴木保奈美の語りを聞きながら、馬鹿みたいにない知恵を絞るより、やるべきことはあるな、と感じる。

まだまだ、ほんとあるんだよ。

まだ僕は、学ビスト力を含めたら、実力は出しきれていない、と思う。

 

たぶん、今まで、僕が小説を書いています、といっても、別に本を出しているわけでもないし、

内心、馬鹿にしたり、軽く見られていたりしていただろう、多くの人たち。

(特に恨んでませんが。それが常識的な反応でしょう)

僕の方でも、見返したいよな、との気持ちはあります。

 

その他、いろいろ苦しかった出来事を昇華もしてみたい。

例えば、NHK文化センターへ講師をしたい、と資料を送っても、結局、梨の礫ですから、力不足ということなんですよね。

それら、色々な怒りを糧にしたい、書くエネルギーに変換したいよな、と思います。

 

もう才能がない、なんて逃げ口上によく使うんですが、笑

本当にここで諦めたら、逆証明できちゃうから、今さら出来ません。

 

創作感覚とスキル、失敗体験と抜け出し方法、その理論的裏付け。

全部揃っていると思います。

おまけに、詩と短歌、小説、マンガ原作との共通点と相違点もわかるんですよね。

さらに、教える力、もあります。

 

うーん、なんとかしないと。

 

ほんと、この’25年度が勝負の時なんですよね。