とうとう、描き始めました。永井荷風新人賞100枚。 | 読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

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文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

「よし! 書くぞ」と心に決めてから2週間以上、やっと描き始めました。笑

 (遅すぎるだろう!)

 

永井荷風新人賞100枚の改稿作業になるのですが、

いま、新規で冒頭の第1章4枚と少し書き上げたところ。

そこへ元原稿の第2章を、少し変えて接続させつつそのまま使えるようには改稿しました。

すると、一挙にプラス7枚を積み足せるが、そうするべきか、まだ迷っている段階です。

 

いつもの、何を描いていいか、わからないという状態ではなく、現代詩を書くときと同じ、モヤモヤの非言語状態にはなっていて、

描きたいモチーフも、書く内容も、書き方も全部、決まっている。

決定的に、今までの小説の書き方とは違うポジションだ。

かつ、書くための様々なテクニックで、ここ4ヶ月間に学んだものを、本作品用に、自分用にアレンジしてやろうと、ワクワクしている。

 

という、今の次第です。

過去の小説を書くときの状況とは、決定的に、違う点ですね。

いつもは、仮に香盤表を作ってから書いたときも、内容は決まっていても、描き方があやふやで、出たとこ勝負だったですから。

 

しかも、今回、同賞の前身である旧:三田文学新人賞に数年前に出して落選した作品100枚で、すでにある原稿を改稿するので、ゼロから書きじゃない。

主人公と、周りの人物は変えず、基本設定も今のところ、変えません。

ただ適当に、心理関係やら背景はアレンジはして行く予定です。

だから、締め切りの5/31には、あと13日ですが、たぶん描き切れると思います。

途中、放送大学の埼玉学習センターでのスクーリングが5/24・25あるので、その前日の夜行バスやらも除けても、10日あります。

興が乗れば、一日30-40枚は書けるので、日程的には十分だと思います。

 

まあ、途中行き詰まっても、終わりは変えないつもりなので、なんとかなるでしょう。

 

たぶん、こんな感じで、新規分は少なく最低限に留めながら、改稿してゆくから、実質、新規で書き足すのは50枚ぐらいかと予想しています。

 

〆切5/31までに、放送大学のスクーリングやら有栖川教室やら、いろいろとあるけど、

充分、完成は可能だろうと予想している。

あとは、どれだけ新機軸がちゃんと盛り込めるか、

仮に盛り込めなくても、そこからどれだけ改善策や問題点を見つけられるか、だと思っています。

 

そもそも、今回の書く目標の一つは、書かないで隠すゲシュタルト表現で作品を書いてみることなので、

書いてないことを書ければいいのです。

(矛盾! 笑)

 

また、別の目標は、ここ数日書いている、村上春樹の短編「午後の最後の芝生」から学んだ、

日常のモチーフをオリジナルな視点から解読して表現することも、挑戦してみます。

今までは、新奇な表現をしようと内容に意識的にも無意識的にも、きっとすごくこだわっていたんです。

けど、それって、結局は、僕が散々叩いている、【ストーリー展開の呪縛】の一種だと思います。

それこそ勘違い、間違いだったんじゃないか、と最近、気づきました。

僕がやるべきなのは、そういった新鮮さじゃなくて、視点を新鮮に描写することで、平凡なモチーフを輝かせることに尽力することじゃないか、と。

そちらに方向転換しました。

 

もともと、普段書く現代詩の場合、別にわざわざ新奇に書こうと思わないでも、勝手に新しい奇抜なものになるんですよね。

小説に対しての神格化した思い入れが僕にはあって、なんか小説だから、すごいのを書こう、書かなくっちゃいけないと勝手に自分自身を、いつも書けない方向や、固定した書き方の方向へと追い込んでいました。

 

だから、今回、前に試して、上手く行った、レイモンド・カーヴァーの(正確には村上春樹の訳文のだけど)ミニマリズム的な書き方も、もちろん織り交ぜるし、

絲山秋子的なエッセイ風の描写もしたい。

やりたいこと、山ほどあります。

 

どうなるか、わかりませんが、やってみます。

まずは完成することです。