今日は、時々、紹介している西洋占星術の話です。
皆さんは、Webページの「星読みテラス」って、ご存知ですか。
僕は、牡羊座生まれなんですが、
ちょうど、この’25年は多くの星たちが牡羊座に集まってくる年でもあって、どれも1時的な滞在で、
本格的には、来年’26年みたいなんです。
で、この5/25に牡羊座にやってくる土星の話が上のWebページで紹介されております。
(今日は、土星の運行から見た、振り返りの話になります。)
僕、牡羊座にとっては以下のようにアドバイスが書かれています。
「牡羊座さんにとって、仕事面ではまさに「自分」がテーマとなる時期です。
キャリアにおける責任感が増し、リーダーシップを発揮したり、専門性を高めたりするのに良いタイミングでしょう。
プレッシャーを感じる場面もあるかもしれませんが、揺るぎない自信とキャリアを手に入れることができます。」
土星は公転周期が29年で、同じ土星牡羊座時代は、前回がちょうど1996年でした。
その頃の僕は、確かに、仕事の専門性を高めたし、さらに、自分の生き方において、より深い、自分探しの真剣な旅に出ようと決意した時期でした。
(その成れの果てが、今の詩人の端くれと、素人小説家ですから、当たっている気がします。笑)
ところで、西洋占星術に関して、僕は、前にも書いたように、自分の出生児ホロスコープも書けるし、わかっているものの、以前はあたるも八卦程度の認識だったんです。
ところが、’16年に、仕事関係で某新聞社主催の某賞(すみません。今は秘密で)を受賞する経緯が、すごく不思議なシンクロニシティを体験してしまいます。
まあ、意味のある偶然と言えば、単なる錯覚とも言えるんですが、そういう「天命」とか「天運」のスピリチュアル的なものもありかな、と
その存在を強く感じるようになりました。
僕の仕事は、やり甲斐はあるものの、(30-36歳ごろかな?)一時期を除いて、何十年も辛くしんどいものが多かったんですよね。
あまりの大変さに、メンタル崩壊寸前なストレスを抱えた時期もありましたし、ひどいパワハラ上司もいたし、
職場環境が最悪なところも多く(同じ職種のある人に、「しんどい所ばかりだね」と同情されたことも。
あれ、そればっかりだったかも。笑)経験しました。
僕が、第1次の16年間も大学通信教育にハマったのも、仕事とは別人格や別の時間を持たないと、別世界へ行ったほうが楽かも、と死を覗き込んでしまう時期もありましたから。
仕事内容は今でも好きですが、人権なんてないブラック職種ですから。
自分が、小説や詩を書くようになってからは、吐き出す機会や対象ができて、困難や誹謗中傷にも強く耐えられるようになりましたね。
人間の闇な部分もずいぶん勉強できました。苦笑
僕は、西洋占星術は何冊も読んで、深く研究した時期もあったんですが、最近、このサイト「星読みテラス」で初めて知った考え方もありました。
それが次の、惑星と年齢域という考え方です。
この星読みテラスでも、それほど細かくは説明されてませんが、
そこで見ると、今の僕の60歳を過ぎた年齢は、土星域に該当するようですね。
自分の出生児ホロスコープでは、土星は水瓶座にあります。
水瓶座は、ご存知のように、独創性を重んじる、知識に関心がある風の星座で、理論や言葉を操る星座です。
僕の場合、第1印象を司どる月も水瓶座なので、結構、今の文学へ全力投球する生き方や境遇は当てはまっている気がしています。
基本、僕の太陽星座の牡羊座は、考えるよりも直感行動で、やたらパワフルさが持ち味なので、
なんでも全力投球したがる内面性(太陽宮は、その人の内面の願望や生き様に反映する)は、その全力投球へバックボーンとして呼応している。
つまり、概ね、この惑星域という考えは当てはまっていると判断できます。
(まあ、当たるも八卦、程度で。笑)
ともあれ、この土星域で解かれている「社会的な成果を生み出していく」時期というのは、詩集を出したり、
新しい詩の声の優秀賞を受賞したりした時期と重なり、と当たっているな、とさらに感じました。
何よりも、カルチャーセンターの講師として活動したという社会還元な夢を抱いて行動し始めている2025年も、そこへ合致している気がしています。
あと、その前の、34歳やら、45歳やら区切りも、僕の出生時の火星・木星ともに魚座にあって、
魚座は感受性豊かで、芸術域に入り込んでいく性質ですから、これも実際、絵を描いたり、アートアニメーション、絵本を経て、
今の小説を書く夢に変わったりしていて、合致しています。
ということで、この惑星域に当てはめると結構、当たっているんですね。
まあ、占いというのは、当たっていると信じて、本人が楽しむものなので、それでいいんですよ。笑
僕は、前にも紹介したルネさんの西洋占星術の本が昔から好きです。
でも、経験則から言うと、口を子燕のように開けて、ピッピョしてても、何か幸運が降ってきたりはしないんですよね。
幸運を呼び寄せたり、シンクロニシティを起こす時は、自ら行動して、悩み苦しんでいる前提がある、散々やってみて、
「だめ、無理だった」と思って、別のことをしてたり、忘れた頃に、ドドッとシンクロニシティの波が来る場合があります。
奇跡の’16年の時だって、2年前に発表したものを、その編集者さんが見つけてアポイントをとりにきて、
あれよ、あれよと言う間に、偶然から仕事が空いて、〆切ギリギリの消印当日に応募して、最優秀賞でしたからね。
じゃあ、今、書けずに苦しんでいる、小説も意地でも完成させないと、予言が成就しません。
幸運の神様は、ギリギリまで頑張った時に、ちょこっとアシストしてくるんですから。
頑張らないとね。笑


