先ほど、6/14(土)の朝日カルチャーセンター新宿「現代詩実作」(荒川洋治さん講師)へ、とうとう申し込みました。
なんで、そんなに大袈裟な言い方をするかというと、僕は谷川俊太郎さんを除いて、現代詩の凄さを初めて感じたのは、荒川洋治さんだったからです。
十代の高校生の頃、『日本の詩歌 27巻 現代詩集』を中公文庫で知ってから、読んで好きになった詩人は多くいました。
大学の卒論に選んだ黒田三郎さんや、教科書にあった? 吉野弘さんを初め、好きな詩人は、荒川洋治さん以外にたくさんいます。
でも、20代初めの詩を研究していた頃の、僕が訳がわからないけど、凄いと感じたのは、荒川洋治さんだけでした。
吉本隆明さんが、「荒川洋治以後・以前」と語られる、と評したように、僕は今の、『現代詩手帖』的な象徴詩、暗号的にも感じる修辞技巧派の頂点は、荒川洋治さんだ、と固く信じています。
朔太郎→西脇順三郎→現代詩・象徴詩(荒川洋治)
この図式が一番シンプルな、近代詩からの文学史だと考えています。
しかも、H氏賞を受賞した、『水駅』など初期・荒川洋治作品は、言語修辞だけでなく、隠れた抒情性が濃厚にあって、
現在の、現代詩手帖賞の受賞作の多くが、言語修辞に傾きすぎて、暗号化してしまっている現状とは違う、と判断しています。
今、僕が何よりも幸せに感じているし、誇りに思うのは、この『水駅』の一連の詩の着想や構造が手に取るようにわかることです。
(もちろん、勝手な妄想です。笑。でも、嘗ては妄想すら抱けなくて、ただ感嘆し、憧れるのみでした)
一度だけ、兵庫県で、荒川洋治さんの講演を、20年以上前に、直接、聞いたことがあります。
でも、その頃、僕は小説系すら書けなくて、まして、自分が詩人の端くれになり、詩集も出す未来なんて、想像の埒外でした。
福井県の、蟹と水仙の文学コンクールに僕が一度も入選すらしないのに、近年(もう5回も)、そこへ応募詩作品を出し続けているのは、
最終選考が荒川洋治さんだからです。
(うん、こう書いていると、今年も応募しよう、出そうと思います。笑)
で、話を朝日カルに戻しますが、この6/14(土)に行くために、放送大学の6/14・15のスクーリングへ申し込みました。
一応、講義終了後にすっ飛んで行くと、新宿教室に間に合う、文京区学習センターのものを選びました。笑
最悪、その日の最終講義を早退してでも行くつもりでしたが、どうやら上手く提出時間に間に合いそうなんです。
(そのかわり、宿泊する千葉のセミナーハウスには、朝日カル教室が終わってからだと、門限20時を越すのですが、なんとかなるそうなので。不安ですが)
荒川洋治さんは、もう一つNHK文化センターにも教室をお持ちなんですが、こちらは開始時間が早いのと、上手く放送大学のスクーリングがないので、断念しています。
1回、教室を受講したから、僕の現代詩創作のスキルが上達することはありませんので、あくまで記念受講なんです。
でも、それを「いつか叶えたい夢」としていたのを、妨害するのが、時間と距離とお金でしたので、それを一度にクリアできる妙案となりました。
もちろん、最初から、単独で朝日カルチャーセンターかNHK文化センターを受講すればいいだけの話なんですが、
交通費の往復3万円弱を出す勇気が、小市民の僕には、ずっとなかったんですね。
自作を読んで、講評されることが怖かったのも、きっとあったんでしょうね。
それは、褒めてほしいんじゃなく、アドバイスを貰う資格・レベルを得てから、見せたかったのでしょうね。
一番、自作を読んでほしい方(二番目がマーサ・ナカムラさんでした。こちらは叶いました)へ見せてもいいレベルを上げるのは、キリがないので、
洋治さんがお元気で教室が開催されているうちに、一度だけ夢を叶えることにしました。