ふと、去年、受講した石田祥さんのライト文芸の書きかた講座のことを思い出した。
そのメモを読み直すと、
そこでは言葉の積み上げによる〈積み上げ無理くり書き〉と名付けるようなものが説かれていたんですね。
それは自問自答しながら、場所やキャラクターを積み上げ考えるやり方で、
実は、それこそが〈ゼロから無限書き〉じゃなく、
それから脱却できるマインドマップ効果的なワークショップになっていることにあらためて気づかされました。
このゼロから、小説案を考える無限書きこそ最恐最悪な書き方で、そこから出発すると、
僕がよく言う【ストーリー展開の呪縛】に絡みとられ、
どこかで聞いた非オリジナルな話しか描けませんから。
ところが、この石田さんの書き方こそが最適な脱出解と開始方法を述べていることに気づいたのです。
さらに、それを今の〈カーヴァー的な人物群渦感覚〉との合わせ技でやれば、いい気がしています。
事実、竹中優子さんの「ダンス」の細かな群渦があってもそれた「メイン一つVSその他サブ」に当てはめられると感じましたし、
これもシンクロニシティだな、と気づきました。
見えている「点」だけを追うと、ストーリーに脳内補完してくれる働きが読み手にあるから、
それを信じることななんだ、と改めてちゃんと、
実感できた気がします。
そうそう。
この感覚を説明すると、
ストーリーってさあ、点線の集まり繋がった後の「1本の実線ライン」にしか見えないけど、
実はあくまでも「群渦のチラ見せによる、点線の集合」なんだ、ということです。
その時間と落差が感覚的にわかったことって大きい気がする。
その違いはすごく大きくて、散文詩と、行分け省略詩との差のように比喩できる。
アナロジー化すると、わかりやすいし、感覚には埋め込めるようだ。
ところで、それとは少し違う、この文を書いてて思いついたこと、全然違うことなんだけど、書く。
改めて、今年度’25年度は、売れ線要素がわかるから書くライト文芸と、
構造を優先するチャレンジの純文学との二本立てで行こう、と思う。
どっちか一つである必要はない。
どのみち、構造を極めると、両方描きたくなるから。
つまり、早く、今、悩んでいる旧:三田文学新人賞を書きあげ仕上げよう。
それこそ、この〈ワードからの無理くり書き〉で自問自答を繰り返し、それをしてしまおう。
まだ、僕は才能天授主義的な、「凄くいい作品」案がどこからか、天からでも(笑)降ってくるとおもっているこら、書けない、いや、書かないんだよ。
もう〈カーブァー式の人物群渦〉感覚は、身についたし、
今回の、石田祥式の〈言葉からの無理くり書き〉方法もわかったのだから、
あとは実践だけなんだよ。
タイムリミットで書けないなら、書けないでいいよ。
ヘタレ作品も、失敗作品も大いに結構だ。
とにかーく、〆切期限の5/31までに、100枚を書き上げよう。
自分の中の、間違った自己表現書き的なスタイルじゃない作品を、どんどん書いて、別の書き方ができることを証明しようよ。
ちょうど、6月7月期に〆切がある、創作大賞2025や、ライト文芸の短編新人賞のライト文芸がうるから。
短編なら、悩むよりさっさと書ける経験値はあるんだから。


