つい、ふらっと質問メールを送ってしまう。カルチャーセンターの講師を目指す第一歩。 | 読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

夜中、途中で目が覚めて、その後、なんとなくNHK文化センター梅田に、講師募集について質問メールを送ってしまう。

今まで「受賞実績不足だろうか」と、散々、躊躇していたのに。笑

 

さらに、前に考えた、授業プランを、もう一度、さらに具体的に、1クール6回の授業の展開を具体的にイメージしてみた。

凄くはっきりした。

さらに、大学講師をする場合も(おいおい)、それとの兼ね合いまで考えた。爆笑 

 

でもね、正直、そうなるべきだと思う。

誰よりも上手く教えられるのだから。

某所での教える実績は十分あるしね。

もう変な遠慮や謙遜は要らない。

行動すべきなんだよ。

文学賞での受賞実績なんか待っていられない。

 

この行動自体が未来の受講生のシンクロニシティになっていると思うから。

僕だけのものじゃなくて。

そんな感覚があるんだよね。

 

それはちょうど、この1-3月に、小説創作についての、僕へのさまざまなシンクロニシティなヒントを次々ともらえたので、

これは、世間へご褒美をお裾分けするようなものなんだ、と強く感じています。

僕への頑張りの報酬なんだけど、ちゃんと還元してね、との文学の女神からの見えない添え状に、その条件が付けられていた、

そんな気がするんです。

 

きっと、僕の気づきや壁へも対処方法が、将来の素晴らしい才能たちへの大きな手助けになるんだと思います。

だって、某あの人も、僕からのサジェスションで、グランプリを獲れました、と、ご本人もおっしゃっていたしね。

これが、学ビストな僕の教える力の、何よりも一つの実績でもあるんですよね。

 

たぶんね、

僕個人の格好良さやらを求めたら、もう1•2年待って、受賞してからの方が断然いいんですよ。

それぐらい、この1-3月の小説創作の「発見」は大きいと感じました。

ちょうど、’16年12月に、「このやり方で、本物の詩が書けるよ」と天啓を悟った、あの瞬間と全く同じ感覚がありますから。

でもね、

なぜだか、すぐ行動っしろ、と守護霊だかなんだかのからの、心の声が急かして「やんや、やんや」言っている気がするんです。

 

誰か、必要な人が待ってるのでしょうか?

 

一応、教えることについての全国的な、金メダルクラスの賞は持っていますので、その分野から見れば、誰にも負けない賞の実績が、実はあるんです。

で、それプラス、新しい詩の声と、その他の小さな実績、もうこれで、いいかな、と。

 

そもそも、よくある、専門の、小説教室でも、詩作教室とも違うものを開きたいんですから。

すごくニッチな、それ以前の「文学」への目覚め方を導く教室を考えています。

 

どう書くかはもちろん、こうしたらダメですよの失敗経験と、学ビストであり学び続けた学ぶ側の視点からの提案ワークショップ、失敗を回避する対処法は、

おそらく日本一に近いレベルだと、推測できていますから。

単に知識の切り売りでなく、受講生自身が答えを見つけるワークショップ形式もいっぱい、考案して、流用分もすでにありますから。

(このワークショップ形式で教える感覚は、実技・美術系の教授感覚です。座学・文学系の方にはたぶん、上手くできない気がします)

 

今まで、受けた何十という文学関係の創作教室、そして、それ以外の美術館系の教室、それと、16年+5年の21年間の大学通信教育を受けた経験から。

(卒業率5-7%の慶應通信も卒業した経験を舐めてもらっては困ります。笑)

 

前にも書きましたよね、名前もね、決まってます。

実は、もう10年も前から決めてたネーミング、「文学こと始め講座」です。

 

 

 

NHK梅田がダメなら、神戸三宮のKCC神戸新聞文化センターでもいいかな。

そこは常時、募集しているから。

 

けど、なぜか、心の声は、梅田にしろ、と言っている気がします。

別に、NHKの方が偉いとは思っていないのに。

集客力は断然違う、NHK梅田の方がいい講座が多かったのは事実ですが、無意識君が指定している理由はそこなんでしょうか?

 

なんせ、直感に動かされているので、理由が不明です。

 

ともかく、僕よりすごい創作力の詩人・小説家は数多いるんですが、

僕と同じくらい教える力のある人は、たぶん、ほぼいない。

空前絶後の失敗経験、その期間、異ジャンル性(詩から小説、俳句、川柳、短歌、絵本、童話、ストーリーマンガ、アニメーション)から、それは断言できます。

何より、教える実績と情熱も人一倍、僕にはあるので……。

 

詩と違って、小説は作者だけの力では成立しない、単に技法や主義主張じゃなくて、読み手ファーストなので。

優れた読み手は、優れた書き手へ変わる、成長する悪可能性があるんです。

それを僕は証明したい、広めたい、その欲求こそが僕の「教えたい」の原動力です。

単に、先生として偉そうにしたい、とは根本的に違います。(時々、そんな過去の受賞歴だけの講師の方がいると感じます)

 

教えてもらった師は感謝して尊敬すべき、とは僕は思っています。

でも、自分が偉そうにするのとは違います。

 

まあ、延々と妄想を書いた今日でした。

でも、「とき」が来た、気が急にするんです。

ほんと、不思議。

 

いつも、シンクロニシティは受信用なんですが、これ、誰かのためにする、発信用なんですか?

そんなのもあるんですか?

これ、誰に聞けばいいんだろう。