今日、明日と仕事で、金曜日・月曜日と臨時休業だ。
使える時間はいっぱいなのに、左腕・左背筋を痛めて、ジムへ行けず、運動も家の周りを30分から1時間ジョギングする程度しかできない。
創作活動は、全然進まない。
きっと詩に集中したら、何か書けるし、新しい表現へ挑戦したらいいんだけど、それが逃げだとわかっているだけに、どうも通勤中の隙間時間とか他へに移動待ち時間の片手間にしか集中実行できないでいる。
自分のポジショニング考察もできているような、無いような。
もう意図的に、星占いの無理やり当てはめて、昨年’24年を振り返りつつ、今年’25年の計画を再吟味している。
次の3月までに、マンガ原作の創作・応募へ挑戦して、4月からはネーム書きへ初挑戦することは決めているけど、
安易に取り組まないように、自分へ釘を刺している。
まずは、この苦しい小説創作へ真摯に取り組んで、最低でも3月までに、純文学小説150-200枚を1作以上は完成・応募しないといけない。
そのために、津原泰水の短編を、とことん読み味わい、そこからエッセンスを学びとらなければいけない。
それを、次期の3月からの某小説塾教室で、課題提出すること。
これが、3月までの絶対的な行動計画の死守案件だ。
創作時間は現状ではたっぷりあるから、いつもの締切効果はまだ出てこない。
うーん、頑張るしかない。
ところで、その小説塾でのこと。
この間の最終日に、すごく感動したこと。
この日は受講生全員が先生から2,000字のショート・ショートを兼題(状況が始まっている前提の題)で出されたんだけど、
そこで、先生からやんわりとダメ出しをもらった。
ほぼ全員に近い者が、10枚、30枚の「凝集力不足の間延びした書き方」でお茶を濁した書き方や、状況への切り出し効果を無視して書き出してしまっている、と指摘されたのだ。
僕の作品も同様に。
(もともと、僕は12枚作品として書いた一部を出しているから、なおのこと、そんな弛緩した文章だった)
僕は、ハッとしてしまった。
4枚小説の講座を受講して凝集力書きは理解していたはずなのに、結局、枚数が多いと油断した書き方へ戻っていたんですね。
ちょうど今、目標にしている津原泰水作品でも、文章の凝縮力へ舌を巻いていただけに、とても恥ずかしかった。
で、決めました。
今後、10枚以下の作品を描くときは、【読み手アプローチ効果を第一にした書き出し凝縮力文体】を心がけること。
やはり、自分本位の書き手ファーストな弛緩した書き方をしてしまいがちなダメ自分を、明確にいつも意識しておかないといけない。
ショートショートって、短いから書きやすい、なんて思ってるのは、バカですよ。
でも、僕も無意識にバカでした。_| ̄|○
また、きっと長編でも、畳み掛けるシーンでは【書き出し凝縮力文体】を意識的に使わないといけないはずだ。
これが自覚できただけ、本当は画期的で、すごい財産のはずなんだけど。
すぐ忘れちゃう、大馬鹿者だ。
きっと詩を書くときも常に意識して、呼吸できるように身体化しないといけないな。
とりあえず、今日、仕事で、頑張ります。