某女子大の講座へ行くと、ほぼ僕より上か同年輩の参加受講者との、詩に対するギャップを感じてしまう。
それは孤独感といってもいい。
僕は常に詩(文学)の枠を疑いながら、新しさやオリジナリティを求めながら書く。
こう書くと聞こえがいいが、ハズレやわかりにくい実験作になる。
当然、「何これ?」の反応は想定内だ。
それでも、書きたい、僕との差が生まれる。
だから、そこにいると、周りに合わせて、従来の詩の作り方へ、誰もが認める創作手法へ、つい無難さに流れそうになる時もある。
そうすると、何も変わらない。
失敗しないで、成功は生まれないと信じていくしかない。
同様に、今度参加する、少人数の若い人たちの、詩のグループに行っても、たぶんギャップを感じながら座っているだろうと思う。
自分らしさの追求が(ご本人たちが意図してなくても)既存の詩界との差止まり限定だと、狭いと感じるからね。
ここも今回が最後にしようと考えている。
僕が詩人クラブ新人賞やH氏賞の候補になったら、そこの知り得た情報を伝えるつもりでいるけれど、果たして、そうできるかどうか。
そもそも、その資格があるかどうかになるからね。
詩人クラブ新人賞の候補にもなれなかったから、現状、言う資格はない、と感じている。
向坂さんやマーサさんの教室に参加して感じる居心地の良さは、きっと僕と同じ方向に、
(小説も含んで、たまたま、そこでは詩限定でやっていることへ)向いていること、つまり、ターゲットが文学全体と大きいからだと思う。
さて、今日は仕事が臨時休業。(次の金曜日も、月曜日もだ)
ちゃんと創作しないといけない。
昨日は、小説教室の今季の最終日で、帰宅は11時だった。
まだフジテレビの会見中だった。
うーん、ボロボロのフジテレビのように、先週のトレーニングで痛めた、僕の左肩や腕の痛みはまだ取れない。
昨日は大阪で、重いリュックサックを背負って歩き回っていると、辛かったから、今日、いく予定のジムもやめておこうか。
マシンやダンベルをあげられそうにない。
素手なら走るのはかろうじてできるから、また家の周りをランニングかな。