12/27(金)の順位が27位。’24年の振り返り.その1 | 読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

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文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

12/27(金)の順位が27位でした。

アクセス数こそ276で300を越えていないのですが、30位前後はなることはあっても、この順位はそうあるものではなく、一応特記しておくべきですので。

みなさま、いつもありがとうございます。

 

さて、そろそろ、’24年の総括を行いたいと思います。

 

*24年の1/1に書いた、今年度の目標を振り返ってみます。

 

巻頭に、こう書いていました。

 

 「目標は、以下の通り。

  ❶から❹、❾は去年と変わらず、無理ゲー挑戦と言いたいが、

  でも、今年は1月から時間があるので、やり切らないといけない。」

 

果たして、どうだったのか。

「……」以下が、現時点での振り返りコメントです。

 

◇’24年度 文学賞の応募計画と目標 (黒数字は実現難しいが、頑張る)  

❶講談社児童文学新人賞300枚 3/31〆切 →○ 成功だが、その結果は悲惨。

……毎年、思う。できるかなあ、と第1目標にしてきたもの。

 厳密には、’23年度になるけど、’24年3月に書いて応募しました。

 見事に1次選考も通らず落選。

 それで、児童文学に見切りをつけられました。

 向いていないんだ。

 とりあえず、現時点では【ストーリー展開の呪縛】に絡め取られて、描けないんだと痛感。

 以後、落選原稿を書き換えはあっても、新規は数年は封印します。

 

❷純文学系小説 100-200枚? 一つ目 -3/31〆切 →×

❸同上 二つ目 150枚 -3/31          →◎ 大成功

……これも、毎年、できるかなあと思ってたもの。

  3月締め切りは無理でしたが、9月締め切りの文學界新人賞へは見事に新作で応募できました。

  でも、落選作品の書き換え再生は、できませんでした。

  もう文學界へ応募できたことだけで、今年は大成功でした。

  結果が明確にわかるのは、3/7の発売号ですが、もし万が一、最終選考に残れば、2/7前後に電話連絡があるそうです。

  まあ、それは無理ゲーだと思っています。

  1次選考を通過が最低目標です。
 

❹中原中也賞 4-5月 →◎ 大成功 最終校正を9月に行う

……この第2詩集ですが、お金と決意さえあれば出せるものだったのですが、今度はちゃんとコンセプトを統一してやりました。

 結果、すごく勉強にもなったし、今後の詩作方向が第3詩集に向けて変わる予感があります。

 安価な私家版も、そのデメリットもよくわかったので、次はもっと上手くできそうです。

 

(また、昨年は、例年の『現代詩手帖』と『ユリイカ』の掲載と某地方新聞の投稿文芸の詩部門を、ここへ書かないし、投稿もほぼやめる宣言しましたが、

 結果は、某地方新聞はほとんどやりませんでしたが、手帖とユリイカは少し手を抜いたものの、ほぼ毎月書き切りました。

 結果はユリイカの佳作1本だけという悲惨な結果でしたが、まあ実力相応なのでしょう。)

 

また、詩集単位の応募先は、来年、まだ五つも残っているんですよね。

それはそれで、入賞すれば、パブリックな小説ほどではなくても、大きく境遇が変わります。

 

⑤日産 童話と絵本のグランプリ10枚 →△  応募はしましたが、連絡な詩なので、落選

……児童文学から手を引くけど、これは来年も書き応募します。

 

⑥小泉八雲顕彰コンクール入賞、こうべ市民文芸、西脇順三郎賞、蟹と水仙の文学コンクールへ詩を書く →○

……これらはライフワークなので、来年もあれば応募します。

  あれっ? 結果はどれもまだ不明です。

  小泉が1月、こうべと西脇が2月にわかります。

  こうべの、短編小説は入賞するレベルだと思うのですが。

  あと、蟹と水仙の文学コンクールは今年は〆切ミスせず応募したが、期待薄。

 

⑦ココア共和国の応募 →○

……毎月やるのはやめようと宣言して、3-6月の4回分は休止。

 でも、12月までで合計9回応募しました。

 結果は、佳作3回、傑作1回、落選4回、未発表1回。

 まあ、5割近いから、良かったと思います。

(エッセイを、今年は1回だけ応募。結果は2月に発表)

 

⑧金澤詩人賞、伊東静雄賞、白鳥省吾賞、新しい詩の声賞、永瀬清子現代詩賞、詩と思想新人賞 →◎

……最低限、これらはやるかな、と書いたもの。

  伊東と「詩と思想」、白鳥は落選。

  氷見現代詩賞(旧:金澤詩人)と、新しい詩の声は、まだ結果未発表。

  永瀬の’24年度分は2月から応募だから、まだ書いてません。

  この三つは入賞した「新しい詩の声」をはじめ、期待して書いたいものなんですが、どうなるやら。

 

❾太宰治賞や、純文学賞などをいくつも 150-200枚を書く →? 

……12月に1作は描くはずが断念してます。

 果たして、思惑通り1-3月に2作も書けるのか?

 大いに疑問なのですが、挑戦してみる他ない。

 最低、1作は書きたい、です。

 自信は全然ない。 

 

⑩「日本児童文学」15枚の投稿賞を3つ →×

……「日本児童文学」へは、児童文学から撤退したので、意図的に1作も出さなかった。

  児童文学系では「角野栄子あたらしい童話大賞」17枚と、島崎藤村記念文芸祭へ改稿作12枚、小川未明文学賞28枚を書いた。

  前二つは落選、小川は結果待ちだが、無理だろう。

 

⓪ショートショート系と、内田百閒文学賞 →◎

ショートショート以下は、去年の元旦の計では一切、予定がなかったけど、結果的に書いて応募した。

清流の国ぎふショートショート文芸賞は、入選で金星💫。

深大寺短編恋愛小説賞は落選。

内田百閒文学賞50枚も落選。

坊っちゃん文学賞9枚は結果待ちだが、改稿作なので、無理だろう。

 

 

*   *   *   *   *   *   *

 

去年の年末には、総括として、以下のように書きました。

 

  「詩、児童文学、純文学小説と三兎を追うには、僕はまだ力不足

      だ。

   特に、詩が書けるようになってからは小説が片手間になって、

       全力をぶつかりきれていないんじゃないか。

   そのストレスが沸々と溜まっているし、心残りになってるんで

       すよね。

   もっと書けない悩みで七転八倒しないといけない?

   このままじゃ、死んでも死に切れない。

 

   また、純文学小説へ全力をぶつけることで、多分、僕の中では

       繋がっている分、現代詩表現自体が変容すると確信しています。

   そもそも、僕の詩力は小説創作から7年前の’16年12月に派生し

       たものなので、

   詩がさまざまに書けるのも、矛盾しているけど、小説への活動

       からなんですね、たぶん。

  (『鬼滅の刃』で、始まりの呼吸=日の呼吸、から、水や炎と派

       生したように?)

   だから、詩そのものを描こうとするよりも、純文学への挑戦が

       結果的に「オリジナルな詩力」を生み出す予感があります。

 

   (中略)

 

   世に出ることで、きっと真に〈読み手ファースト〉なり、〈商

       業性・売れること〉とちゃんと向き合うことで、自己表現から脱

  却できる予感があります。

 

   詩や自費出版は、素人であり、何かしら〈自己表現〉に甘えて

  いられるんですね。

   たぶん、僕が詩人になりきりたいと思えないのは、そこの違和

  感です。」

 

ほぼ、今、現在の想いと変わらない、です。

 

この’24年は、入賞・入選は、ショートショート文芸賞と永瀬清子現代氏賞の二つ程度の結果しかありませんでしたが、

総じて、実力以上に頑張れた気がします。

(’23年の「新しい詩の声」受賞ほどの成果は今のところないですから)

 

❶から❹の無理ゲーな目標を全てクリアしましたし、❾も、まだ、達成する可能性はありますから。

例年だと、それらがどれも、ずっと実現不可能な場合が多かったのです。

そもそも、目標とは、無理なところへ立てるから意味がありますよね。

 

特に、第2詩集は、150%の力で完成できたかな、と

その完成により、大きく自分の立つステージが根本的に変わる予感はありますから。

 

つまり、この’24年は、根本的に大きく、僕の意識を変えた点が二つある訳です。

 

一つは、第2詩集の完成にともなって、詩界にも積極的に関わってゆく覚悟を決めたこと。

日本詩人クラブの会友になったのは、その表れです。

今回の第2詩集を巡って、日本詩人クラブ新人賞と、現代日本詩人会H氏賞へ応募すべく、選考委員の方へ献本しました。

これは詩界と、ちゃんと向き合おうと決心する理由にもなりました。

 

でも、僕は専業詩人にはなれません。

あくまでも、目指すは小説家です。

詩人には団体に属さないでも、もうなってしまってます。

 

もう一つは、カルチャーセンターの講師になって〈文学こと始め講座〉を持つこと。

これが、僕自身の天命だと、はっきりと自覚できました。

それ故にこそ、自分の小説スキルももっともっと高めなくてはいけないな、と覚悟ふができました。

 

実は一つ目よりも、こちらの方が実現に向けてずっとずっとエネルギーが必要で、かつ、僕一人の頑張りではどうにもならないもの。です。

ある意味で、僕の16年間の文学創作活動の転機になるだけじゃなく、

僕の40年以上の、バドミントンやら絵画やら、空手どうやらも含めての、学ビスト人生から、「教える側」へ、これまで以上に明確に立脚する、画期的な決意です。

 

これは、ある意味、私人から公人になる第一歩でもあるな、と思っています。

 

公人とは、「私心」や利害を捨て、他人のために頑張る人だと思います。

自分は弱い人間なので、自分のためだけでは頑張れないんですね。

 

きっと、もう少ない、残り人生を、この覚悟と決意が新しいステージへ誘導してくれると思います。

 

また、年明けに書く’25年の元旦の計は、この〈文学こと始め〉を中心に行われると思います。