12月も12日か。
早いですね。
あっという間に、今年が終わってしまう。
喪中のハガキを出さないといけないし、気を引き締めて、あと19日過ごさないといけませんよね。
今日は色々と過去へ遡ったりするします。
年末の1年の振り返る的総括のような、取り留めもない、本当のエッセイになっています。
仕事も、非常勤の仕事で、常勤と違い、年内は今日も含めて、あと4日です。
でも、放送大学のスクーリング「能の世界を知る」が12/19・20の土日にあって、
本来、19日は仕事とかぶっていたのを、振り替えての参加になります。
これ、講義を受けた後、2日目、実際に能楽堂へ出かけます。
能って、大学時代に何度か見たけど、全然、わかっていません。
泉鏡花やさまざまな文学者が影響を受けているので、しっかりと学びたかったのですが、
本だけでは筋はわかっても、全然ダメだったんですね。
当たり前と言えば、当たり前で。
放送大学の魅力は、こうした実技と講義の融合にあると、ようやく理解できてきました。
僕は、旧:京都造形芸術大学(現:京都芸術大学)の洋画コース卒業で、在学中の’00-04年の3年間でさまざまなワーク・ショップ形式の授業を経験しているので、
そうした魅力は十分にわかっていたつもりなんですが、もう随分前になりますから。
京都造形大学には、’10−12年の2年間、文芸コース卒業の間も在学しましたが、
その時は文学系の授業をとるので必死で、他分野のWS系をとる余裕が全くありませんでした。
なんせ、その頃、生まれて初めて、300枚の児童文学・小説を書いたり、100枚の純文学系小説を書いたり、空き時間も文学づくしでしたから。
文芸コースの講義は楽しかったなあ、としみじみ思います。
今は、散り散りになって、全然、会わない何人かの文芸仲間もできましたしね。
一人の敬愛する先輩は亡くなってしまいましたし、女性一人は音信不通、最後のジューリさんはXでお名前をお見かけして、メッセージを送っても、返信もなく、もう連絡が取れませんから。
僕の、’07年11月の毎日文化センターの尾崎美紀先生の通信・童話教室から始めた、文学修行は、
紆余曲折があって、先ほどの京都造形大学の文芸コース卒業’12年をホップ、’16年の詩の創作開始をステップにして、’19年から詩の、某地方新聞への投稿生活から怒涛の快進撃ジャンプが始まりました。
それからは、仕事以外、全てが文学創作に当てています。
で、’23年3月で常勤を辞めて、極貧だけど、時間のある非常勤の生活で、現在に至ります。
’00年の何十年前から’06年10月までは絵を中心に美術系ばかりやってました。
(それで、第1・第2詩集ともに、自作絵になっています)
一時’05年ごろは真剣に映像作家・アートアニメーション作家を目指そうと思っていたのに、
その頃の気分に立ち戻ると、
「なんで小説を書いているの?」
「あれれ、詩を書いている。詩集を出すって? これ、現代詩じゃん、なんで書けるの?」
驚きの連続です。
きっと、’05年の僕から見れば、19年後の今は異世界転生の世界にいる感が半端ないです。
いや、文学を始めて、原稿用紙5枚に苦しんでいた’09年ごろの感覚を思い出しました。
すると、……
うーん。
神ってる、と言ってしまうほど、
詩も小説系も、超絶、神領域に立っている気もします。
書けない、なんて悲惨ぶっている必要ないですね。
その15年後に立っているとは想像もしなかった、「才能」でできているような立ち位置。
いや、「才能」では断じてないです。
学びと努力と、ほんの少しの天啓で立っているんですよ。
さあ、朝から仕事です。