空き時間に、ふっと変なことばかり想像してしまう。
いや、別に犯罪に関わるような事じゃないですから。笑
仕事の中で、待機時間というか、観察時間というか、業務に何も起こらないように待つ時間があるんですよ。
そんな時、頭の中で、いろいろな考えが駆け巡るんですよね。
すると、ここ4・5日、色々とあったことや出会った人との会話を思い出していくと、
それらが複雑に影響しあって、なんかシンクロニシティっぽいなと気がつきます。
すると、ますます、相互に交錯して、それから派生する可能性や、擬似未来っぽいものが思い浮かぶんですね。
それ、恥ずかしすぎて、ここには書けません。
もし一部でも実現したら、あの時、こういう可能性もあるな、と予想しました、と書きたいです。
過去にも、そういう想像をして、無数に叶わなかったことってあるので、
ほんとも妄想に過ぎないんです。
けど、変にリアルで筋道が立っているものだとと惑ってしまうんですよ。
さて、4月に書いて応募した内田百閒文学賞の発表がありました。
もちろん、見事に1次選考にもひっかりませんでした。爆笑
ちょうど、この間の小説教室で、これを合評作品として出して、ダメ出しをいっぱい食らったんですよ。
その時、そのダメな点を書き直す改善するには、50,枚じゃ無理だよな、と思っていたので、ぜひ書き直したいと思います。
すごく見えなかったダメな点が可視化されたので、書き直しポイントがはっきりして凄く助かりましたから。
また、その小説教室で、何人かの人に詩集を献本しました。
そのほかでも詩集を献本した先生や詩友の方々から、ありがたいことに丁寧なおハガキで感想をいただきました。
で、手渡しの時もなんですが、
一番、多く聞かれた質問「なんで、(詩集名の)〈家康〉なんですか」の答え。
その時は、
「小さな家康」という(猫さんの名前が〈家康さん〉である、寓話的でアットホームな詩)を書いたからです」と答えていました。
じゃぁ、なんで「小さな家康」という名前に、猫の名前をしたかを失念していましたが、
実はこうだったんだ、と思い出しました。
というか、思い出しました。
内田百閒文学賞の次に書いた長めの小説作品は文學界新人賞150枚なんですが、
その応募中の作品に〈家康〉という猫が登場するんですよ。
そうそう。
この作品の前に、中也賞の発表が2月にあって、
文學界の発表が4月だから、
その前のインタビューで、コラボしてらことをアピールできるよな、と考えたからなんですね。
でね、この馬鹿げてるのが、
その考えたのが、小説を完成させる9月前後の時期なことなんです。
だって、それって、まだ第二詩集の原稿をまとめる前のことで、
出すつもりではいたけれど、詩集の題名を『さよなら 家康』に決める遥かに前のことなんですよ。
その頃、意識的にシンクロニシティを起こそうかなんて、思ったりしてました。
ふざけたことに、その後、それが正式に詩集名に採用すると、
なんで、家康なの、と聞かれるから、信長と秀吉の題名・モチーフの詩も要るかな、と作っちゃったこと。
でも、結局、信長の詩は掲載しましたが、
二篇も作ったのに、秀吉の詩は不採用にしました。
なんか違う、と思って。
他にも、今回の、この第二詩集には、さまざまな要素や小テーマを入れて、
楽しめるように作りました。
それって、中編小説の伏線置きのスキルだったり、
今,意識している、見えないゲシュタルト空間に置いてある〈物語性〉表現であり、
感覚なんですね」
(皆さん、第二詩集はただ今、メルカリへ出品中です。
ぜひ買ってください。笑
残部のほとんどは、中也賞の結果がわかってから、
知人で、詩の普段読まない方々への献本か、
直接、知らない詩人の方々へ送付して消費する予定です。
現在、残り50部ほどになりましたが、手元に、10部ほどは残すので、
ほんと僅少です。)
今日もサービス残業の日です。