変なことばかり想像してしまう | 読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

空き時間に、ふっと変なことばかり想像してしまう。

いや、別に犯罪に関わるような事じゃないですから。笑

 

仕事の中で、待機時間というか、観察時間というか、業務に何も起こらないように待つ時間があるんですよ。

そんな時、頭の中で、いろいろな考えが駆け巡るんですよね。

 

すると、ここ4・5日、色々とあったことや出会った人との会話を思い出していくと、

それらが複雑に影響しあって、なんかシンクロニシティっぽいなと気がつきます。

すると、ますます、相互に交錯して、それから派生する可能性や、擬似未来っぽいものが思い浮かぶんですね。

 

それ、恥ずかしすぎて、ここには書けません。

もし一部でも実現したら、あの時、こういう可能性もあるな、と予想しました、と書きたいです。

 

過去にも、そういう想像をして、無数に叶わなかったことってあるので、

ほんとも妄想に過ぎないんです。

けど、変にリアルで筋道が立っているものだとと惑ってしまうんですよ。

 

さて、4月に書いて応募した内田百閒文学賞の発表がありました。

もちろん、見事に1次選考にもひっかりませんでした。爆笑

 

ちょうど、この間の小説教室で、これを合評作品として出して、ダメ出しをいっぱい食らったんですよ。

その時、そのダメな点を書き直す改善するには、50,枚じゃ無理だよな、と思っていたので、ぜひ書き直したいと思います。

すごく見えなかったダメな点が可視化されたので、書き直しポイントがはっきりして凄く助かりましたから。

 

また、その小説教室で、何人かの人に詩集を献本しました。

そのほかでも詩集を献本した先生や詩友の方々から、ありがたいことに丁寧なおハガキで感想をいただきました。

で、手渡しの時もなんですが、

一番、多く聞かれた質問「なんで、(詩集名の)〈家康〉なんですか」の答え。


その時は、

「小さな家康」という(猫さんの名前が〈家康さん〉である、寓話的でアットホームな詩)を書いたからです」と答えていました。


じゃぁ、なんで「小さな家康」という名前に、猫の名前をしたかを失念していましたが、

実はこうだったんだ、と思い出しました。

というか、思い出しました。


内田百閒文学賞の次に書いた長めの小説作品は文學界新人賞150枚なんですが、

その応募中の作品に〈家康〉という猫が登場するんですよ。


そうそう。

この作品の前に、中也賞の発表が2月にあって、

文學界の発表が4月だから、

その前のインタビューで、コラボしてらことをアピールできるよな、と考えたからなんですね。


でね、この馬鹿げてるのが、

その考えたのが、小説を完成させる9月前後の時期なことなんです。

だって、それって、まだ第二詩集の原稿をまとめる前のことで、

出すつもりではいたけれど、詩集の題名を『さよなら 家康』に決める遥かに前のことなんですよ。


その頃、意識的にシンクロニシティを起こそうかなんて、思ったりしてました。


ふざけたことに、その後、それが正式に詩集名に採用すると、

なんで、家康なの、と聞かれるから、信長と秀吉の題名・モチーフの詩も要るかな、と作っちゃったこと。


でも、結局、信長の詩は掲載しましたが、

二篇も作ったのに、秀吉の詩は不採用にしました。

なんか違う、と思って。

他にも、今回の、この第二詩集には、さまざまな要素や小テーマを入れて、

楽しめるように作りました。


それって、中編小説の伏線置きのスキルだったり、

今,意識している、見えないゲシュタルト空間に置いてある〈物語性〉表現であり、

感覚なんですね」


(皆さん、第二詩集はただ今、メルカリへ出品中です。

 ぜひ買ってください。笑

 残部のほとんどは、中也賞の結果がわかってから、

 知人で、詩の普段読まない方々への献本か、

 直接、知らない詩人の方々へ送付して消費する予定です。

 現在、残り50部ほどになりましたが、手元に、10部ほどは残すので、

 ほんと僅少です。)


今日もサービス残業の日です。