ここ、2・3日、このブログでも書いていますが、確かに潮目が変わったようで、立て続けに、小説に関するさまざまな発見があります。
昨日も、小説との距離感が、という話を書きましたが、
日程変更した、NHK文化センターのオンライン講座を期限ギリギリになって、石田 祥「物語を書く時の言葉の選び方・使い方」を見逃し配信で観た。
正直、お金を払ったからの半ば義務感で観たんだけど、予想外に良かった。
いた、目から鱗が落ちた。
石田さんの言う、純文学、エンタメ文学、ライトノベルといったジャンル分けはよくわかっているし、もちろん、その文体の差もわかっていたつもりだった。
が、ほんと「つもり」だったんだと愕然とした。
エンタメと、ライトノベルの間に、「ライト文芸」のジャンル立てをすることで、石田さんがいうように、
読み手ニーズの大切さ、出版社が求める感覚に思い至る。
僕は、読み手ファーストと言いながら、それを無視してというか、計算式に入れてなかった。
知識としてわかっているだけで、神聖視してるから不純な気がして避けていた。
そうじゃない。
その文体の違いに、読み手のニーズを加えることこそ、真の読み手ファーストなんだ。
やはりまだまだ、読み手を大切にしてなかったんだ。
詩と同じ、自己表現の延長上で留まって、自分ファーストなままだったんだ。
ほんと目から鱗が落ちた。
そして、此の神聖視や、文学意識も小説との距離感なんだ、と思う。
詩の場合、無意識に、その賞ごとに、近代詩的抒情詩か。現代詩的な象徴詩か、作品ごとに測っていたし、認識し、コントロールも行なってしまっていた。
なのに、小説では、雑すぎるジャンル意識と文体意識のままだった。
そのことに、ほんとハッとした。
うーん、場所・ロケーションも含めて、再構築しないといけない。