小説を書くこと。書けないこと。その差を埋める方法 | 読書と、現代詩・小説創作、物語と猫を愛する人たちへ送る部屋

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小説や詩の創作、猫また大学通信を書いています。Twitterは、atlan(筆名:竹之内稔)@atlan83837218 放送大学在学中。「第8回新しい詩の声」優秀賞を受賞。
 京都芸術大学の通信洋画&文芸コース卒業/慶應義塾大学通信卒業/東洋大通信卒業/放送大大学院の修士全科生修了。

昨日、仕事の合間に、同僚で僕の勧めで小説を書き始めた若い人と、小説の話題になった。

書けない時のスランプの脱出法を議論していたら、なんとなくできそうな方策が浮かんだ。

 

詳細を忘れちゃったけど(おいおい)その時は、自前じゃなく、他力を借りて自分専用ルートを発見すればいいんだ、という趣旨の発言をした。

つまり自分を絶対視して、自力だけで書こうとせず、謙虚に先行作品に学ぶことだって。

何が問題かは、高い視点からの全体把握が大事なのはバドミントンと同じだよね。

 

つい書けないことに絶望してしまうんだけど、違うよね。

描き方を見つけて、描けばいいんだ。

才能で描くんじゃない。

 

今から以後に、見つけた書き方でいい。

過去は関係ない。

 

そのために、じゃあ、なぜ描けないか分析する。

どう描くか、見つけるんだ、その原理を。

現状が書けないだけで、未来はわからない。

なら、書けるようになればいい。

そのための研究。

簡単だ。

 

だって、そうして、詩はそれなりには書けるようになたんだから。

 

自信を持てよ。

書けるかなあ、と不安がらなくていい。

すぐネガテイブ思考する。

いや、書ける術をさらに見つければいいだけだから。

 

必ず書けるから。

意思の問題だ。

不安で、絶望して、書かない時間ばかり浪費しているだけだから。

読めばいい。

研究すればいい。

考えればいい。

考えて、悩めよ。

 

結論、必要なのは、腰を据えて、じっくりと読むこと。考えること。

 

そのあとで、書くことだ。

そもそも、小説を書くことは非日常的で異常なことなのだから、日常からはなかなかその世界へ行けなくて当たりまえだ。

(詩も異常なことなんですが、笑。

 小説は作品世界自体を創造することと、自分ファーストの語りじゃダメだからね。)

 

今日も目一杯仕事です。

でも、諦めない、です。

帰ってから、やろう。