早朝、ふと思い立って、詩の落選作を二篇改稿する。
今月は出さないつもりだった「ユリイカ」の投稿欄へ出すのだ。
書き上げたものの、普通郵便では、土日配達しないから、
今日、このまま投函しても金曜日の28日には、無理だと気づく。
調べると、プラス260円かかる速達でなく、プラス160円の特定記録でも、
金曜日に届くらしい。
じゃあ、それで、と思い、
朝、仕事先の途中で少し遠回りして、大きな郵便局へ出すことにする。
今朝も、阪急神戸線は2分ほど遅延してて、遅刻したはずの僕が、いつもの電車に乗れる僥倖。
これで、昨日に引き続き、2回目だ。笑
(諦めずに、急ぐと、こんな特典ツキなこともあるんだ。
じゃあ、この思いつき投函も、良い結果を生むのかしら?)
さて、小説創作。
一昨日の童話教室でも感じたけど、
今、自分に欠けている、一番大事なところは、結局は最後は自分で納得して見つけるしかないんだな、ってこと。
自分なりの独自の、孤独な納得でしか、身につかないのだろう。
しみじみとそう思う。
そこは自分で掴みとる。ヒントをもらえるにしても。
そのヒントももちろん通常、得難いものなのだから、感謝するけれど、
ここまで来たら、結局は自分なんだ。
昨日の繰り返しにいる人には決してわからない思い、と厳しく思ってしまう、今の苦しさ。
これと、16年間、闘い続けてきた。
すごく迷惑かけられたり、ひどい扱いをされた様々な、
囚われ人たちの顔を思い浮かべてみる。
「そら、見たことか!」
彼らからの冷笑、嘲笑い、侮辱の言葉を、頭の中で再現する。
うーむ。
嫌だな。
彼らを認めたくはない。
ここで諦めるわけにはいかない。
ヒントは憧れの対象の分析。須賀敦子か。
須賀敦子を読んでも、やはり書かれていないゲシュタルト的な疑問や謎が目につく。
それらを主眼に因果プロットで繋げている気がする。
たぶん、ぼくが目指すべきはこの路線なんだと思う。
わかっている。
無駄だと思う挑戦を繰り返すしか、道はないから。
今までも、そうしてきた。
これからも。
また、とぼとぼと歩き出そう。