さて、6月も15日、気がつくと半分ですね。
あっという間に、7月になりそうで怖いです。
そうなると1年の半分は終わりですからね。
昨日は、午後、親族で救急病院の事件があったので、てんやわんやで疲れました。
先月末の実母の死去二の舞かと思いましたが、なんとか持ち直しました。
で、ずっと取り組んでいる深大寺恋物語10枚。
何度も書き直ししているので、それぞれ全然バラバラで繋がりませんが、書き損じだけで10枚は遥かに超える皮肉な状態になっています。笑
もういくらやっても、ドングリの背比べ作品にしかならないので、もうダメダメでもなんとか今日中に終わらせます。
とにかく、やりたかった実験だけは実地で試してもみる、それを試行確認するだけでも価値がありますから。
前にも書いた、〈いい作品を描きたい意識〉に振り回されると、書けないことで鬱になりますから。
ただ、今回のこの深大寺で、改めて、自分の中に展開ばかり考えて、
【シーン一つで掘り下げ、観客を魅了する意識】の欠如がわかったので、それは一つの成果です。
たった10枚でも、それを無理やり展開させようと無意識に考えるんですね。
プロ作家でもそんな無茶なことをしていないのに、身の程知らずな。
それは蛮勇であり、「匹夫の勇」の類ですから。
文字通り【ストーリー展開の罠】の実例な本質で、弊害として、気がつけただけ、すごい成果でした。
今日の午後は、岡英里奈先生の小説教室です。
同じ受講生の作品を読むと、自分の過去の失敗や欠点と同じことをしている方もあれば、すごく描写が上手い方もおられます。
もう応募してしまった自作がどう講評してもらえるか、楽しみです。
何より刺激になりますからね。
あと、一つ面白い、衝撃の事実に気がつきました。
昨日も書いた、放送大学の、10月から来期の面接授業で、関西大学の教授でもある、澤井繁男先生の「文芸創作講座」を受講の申し込みをする予定なんですが、
直近の面接授業シラバスを「文芸創作」で’18年度から現在まで検索しても、1件もヒットしないんですよ。
これは驚きでした。
確かに、詩(これはほんと稀)や短歌(少ないけれど結構あります)での創作講座はあったことは、僕も把握していたし、行こうかどうか迷った事実もあったのですが、
小説は今まで記憶になかったんです。
でも、それは近畿圏以外は詳細に検索しなかったからだ、と一人合点して思ってました。
きっと1・2回はあったんだろう、と。
でも、そうじゃなかった。
一つも、今まで無かったみたいなんです。
じゃあ、もしそんなに稀なんでしたら、もしかしたら僕のようなマニアックで奇特(危篤?)な学生が集中するのでしょうか。
これは優先順位1位か2位かにしないとダメかもしれませんね。
ちなみに、その授業の教科書は、先生の次の短編集です。
もちろん、僕はもう購入したので、到着を待っている状態です。
読んだ感想はまた報告しますね。