結局、深大寺恋物語にがっぷりと | 読書と、現代詩・小説創作、物語と猫を愛する人たちへ送る部屋

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小説や詩の創作、猫また大学通信を書いています。Twitterは、atlan(筆名:竹之内稔)@atlan83837218 放送大学在学中。「第8回新しい詩の声」優秀賞を受賞。
 京都芸術大学の通信洋画&文芸コース卒業/慶應義塾大学通信卒業/東洋大通信卒業/放送大大学院の修士全科生修了。

結局、深大寺恋物語むけの原稿を、小説教室の今月分へ送るのは取りやめました。

というか、まだ書き始めてもないいので、送れませんでした。笑

だから、別の作品を提出文として送りました。

 

でも、深大寺原稿10枚の創作自体は継続中です。

というか、がっぷりと四つに組んで、悪戦苦闘中です。

ただ、どうしても、例の悪癖、【ストーリー展開の呪縛】に餅づいて、作品を組み立てようとしがちです。

自分でもそれがわかるので、そちらのルートへ構想は練らずに、内田百閒ルートへ踏み出しています。

 

〈内田百閒ルート〉って?

 

内田百閒の作品って、不思議な味わいの作品が多いんです。

ストーリー展開はあるような、無いような、ふっといきなり終わる感じがあります。

もちろん、これで万人に対して正鵠を射た、正しい表現だと思うのですが、

僕風の言い方に改めると、小説の合体獣的な「鵺(ぬえ)的側面で終わることを意味します。

つまり、読み手任せで終わる多元的解釈が可能な終わり方が多いんですね。

 

これ自体は、前から充分、理解していたことですし、比較的どなたも同意してくれ、かつ、同様の趣旨の指摘は研究書でもあったように記憶しています。

が、今回、特に言いたいのは、その入り方も「鵺的」で捉え難い点です。

 

いわば、短編なので、他の作家の作品と同様に、ある状況下から作品舞台は始まるんですが、特に、人物が謎様相に富んだ状況下にあるんですよね。

これ、あえて、「謎様相」と書きましたが、幻想的と言った方がわかりやすいと思います。

 

しかし、幻想的、と書くと、作品の雰囲気だけを指し示しているのですが、「謎様相」とわざわざ記したのは、主人公がその周りの環境様相と戦っているからです。

環境が主で、強い影響力があって、人物の意思は「謎めいた」環境からの圧に対して、従属的な立場で影響されまくり、受動的な側に立っています。

わかりやすく言えば、「危機的な状況」で一方的に防戦しまくっているんですね。

 

うーん、うまく伝わっているか、自信がない。

 

この作品「冥途」と「件」なんて、その典型で、皆、人物は置かれた環境に振り回されています。

 

こう書いていると、内田百閒の読み直しって、3月の小川洋子さんの講演会からのつながりからの飛躍で、たまたま内田百閒文学賞へ出すからそのオマージュにしようと読み始めた、つもりでした。

つまり、サブ・ミッションだと思っていたんですけど、実はメインの習熟すべきステップだったんだ、と気づきました。

 

恐るべし、シンクロニシティの渦、と思います。

とにかく、こうした渦に巻き込まれながら、流されてゆくところで、また渦を見つけ、そこから転移しているような冒険の旅をしている、

今の僕自身の、気分はそうです。

 

なんだか、僕自身が小説や物語の主人公のような、RPGをしているような感じなんですよ。

僕ではなく、こうした設定をした存在が凄いな、と思います。

 

とにかく、渦を見つけたら、素直に巻き込まれ、努力すること。