小説(純文学)への憧れの、話。 | 読書と、現代詩・小説創作、物語と猫を愛する人たちへ送る部屋

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小説や詩の創作、猫また大学通信を書いています。Twitterは、atlan(筆名:竹之内稔)@atlan83837218 放送大学在学中。「第8回新しい詩の声」優秀賞を受賞。
 京都芸術大学の通信洋画&文芸コース卒業/慶應義塾大学通信卒業/東洋大通信卒業/放送大大学院の修士全科生修了。

昨日、書きました、小説(純文学)への憧れの話の続きです。

 

そもそも、僕の小説への憧れは、たぶん、中学生の頃の、大好きな作家だった北杜夫が、

ドイツの文豪トーマス・マン作『トニオ・クレーゲル』の作中人物トニオの台詞、

「文学を刻印、ある種の呪いとして憧れた」と出会ったことに起因しているんです。

 

と、昨日のブログで、書いた件ですが、

これを去年’23年10月27日の、このブログでも書いているんですよね。

(ワードを検索すると、自分の、このブログが日付とともに、上位に出てくる。笑)

 

ですので、繰り返しになり、申し訳ありません。

でも、去年とは違う形で振り返り、書きたいと思います。

 

 

 

幼い僕の、愛読書の一つが北杜夫の『どくとるマンボウ青春記』でした。

今でも、読むと、自分の中学、高校、大学時代が思い出せます。

 

その幼い自分の、「小説なんて、僕にはまるで書けないなあ」と、憧れの北杜夫の作品を見つめた諦念と、

それより少し後の高校時代に、太宰の、あの有名な「選ばれてあることの恍惚と不安」の台詞を見たときにも、溜め息混じりで受け入れたことを思い出します。

それから比べると、この、今のダメダメな自分でも褒めてやりたくなります。

小説へ挑戦できているだけ、偉い、偉い、とね。

(あの斎藤茂吉も、僕にはいまだに、北杜夫のお父さんです。笑)

 

たぶん、詩でも、児童文学でも、万が一、大成しても、僕はずっと小説(純文学)への憧れは捨てられないので、

ここへは勝負をしないではいられないんですね。

逆に、今、僕が文学を全く書けないのなら、素直に諦められますが、

今、変に、少しだけ、詩がスラスラと(でも、ないですが、小説に比べれば、格段に楽です)書けてしまうので、

ますます、いや、きっとできるはずだ。これだけ片思いし続けてきたんだから、この恋慕の情は募ります。(笑)

 

しかも、この恋心はすごく我儘で、その中には面白いハイ・ファンタジーをいつか書くぞ、との野望が含まれているんですが、

なぜかメイン、本妻は、ファンタジーじゃなくて、純文学だ、と確信(妄信・信奉)しているんですね。

エンタメ系は〈愛人〉扱いなんですよ。

その癖、自分は間違った【ストーリー展開の呪縛】から、完全には逃れられない。

 

これ、大いなる矛盾です。

だから、きっと芥川龍之介が、自らに最も適性のある物語性を、晩年、否定しまくった心境がよくわかります。

同じだとは、恐れ多くて言えませんが、同種の矛盾した自己否定感覚なんだろうな、と思います。

(東洋大学の通信課程で、芥川龍之介で、卒論を一本、35,000字ほど書きましたからね)

 

ともかく、去年までの、純文学系の小説って、何をどう書いていいか、わからないと、この15年間ずっと思い続け、悩み続けてきたのとは違って、

今、なんとなく〈書く方向性が見えている感覚〉があります。(パチパチパチ。拍手)

 

この〈方向性のあるモヤモヤ感〉で、いつも詩が作品化されるので、これだけでもありがたく感謝したいし、得難い感覚です。

この小説用の〈モヤモヤ感〉を掴む感覚を、定型化すれば、詩と同じく自然と描けるようにあるのかな、と期待もしています。

頑張ってみます。

きっと、定型化できれば、自分の中で、そのプロセスも法則化・抽象化できているんですよ、いつも僕は。

 

(このモヤモヤ感覚での、詩と小説の創作感覚のリンクの仕方で、わかったことがありますので、

また明日以降に書かせていただきます)

 

さて、今週は、仕事の、サービス残業が3・4日続き、早出、遅出になることが、もう決定しております。

川柳と詩の教室も受講しますし。

ですから、5/31の締め切りまで、残り11日は全然、フルに活用できません。

でも、そんな追い詰められた状況で、いつも進化してきました。

チャレンジして行動した失敗は、必ず、次に繋がりましたから。

 

絵のない絵本=童話を書き始め、小説が書けないな、と思い悩んで、紆余曲折から詩の書き方を見つける。

その結果が、詩集を刊行し、詩の受賞もする、今の僕ですから。

挑戦し続けます。