凄まじい。
そう、形容したくなるほど、刺激的で面白い知見のスクーリングだ。
今回の、鈴木啓子・宇都宮大学教授の「近代日本の小説を読む」講義は、ほんと素晴らしい。
ストーリー展開では見えない、設定コード読みは、
文字通り、僕が,最近気づいたゲシュタルト情報と、すごくリンクさせやすくて、
嘘だろうと思うぐらいピッタリだった。
研究の方式が、作家論から作品論、作品論からテクスト論に変わったのは、
僕も長年、研究の側から見てたから知ってたけど、
それらのいいとこ取りが、今なんだ、には少し驚かされた。
たぶん、先生は、そんなつまりは一切ないんだろうけど、
創作者の立場に凄く当てはまる視点だったんだけど。
それと、今、宇都宮駅そばの、いかにも場末感の漂うビジネスホテルに宿泊中です。
学習センターのある宇都宮大学からは、遠いので、ひたすら歩き回ってます。
でも、ふかふかのベッドは、よく眠れる。
当たり前だけど、寝台特急サンライズののびのびシートは、雑魚寝できるけど、床がほんと硬いから、深くは寝れなかったです。
何度も何度も起きますから。
今回、スクーリングで宇都宮へ来るのは、
寝台特急サンライズが深夜0時11分に三ノ宮駅発なこともあって、
いろいろとすごく大変でした。
関西人には、栃木って、東京のすぐ上なイメージですが、全然そうじゃない。
安く上げようと在来線で東京から行くから、ほんと遠くて、大変。
また、学習センターのある宇都宮大学が駅から遠いから、歩いたりで、また大変。
宇都宮市や栃木県って、東京のすぐ上にあるじゃん、
って素朴な印象とは、大違いでした。
ほんと神戸から行くのが大変、大変でした。涙
大変ばっかりでしたが、この講義なら来た甲斐がありましたから、
もし来年もあるなら、
それでも、「ぜひ行きたい」「なお行くぞ」と決意させてくれる、鈴木啓子先生の神レベル講義です。
ぜひ受講を、お勧めします。
もし来年、同じじゃなくて、継続内容なら、僕は行きます。
何よりも、僕が理解さえすれば、
まだまだ創作に転用できる、新しい知見が存在する、そういうことは多いんだな、とつくづく思えましたから。
その意味では、僕にはまだまだ、伸び代はあるな。
たぶん、「書け書け主義」の根底には、才能主義がある。
つまり、ひたすらその分野の中の知見で、磨きさえすれば、書きさえすれば、
天分が自然と開花する、という信仰がその根底にある気がする、
それって、信仰であって、ただ待つだけなら奇跡はなかなか起きないですよ、
と僕は強く主張したいな。
だって、同じ情報源での勝負になるでしょう。
そんな人は、謙虚に他者(非その分野な人、研究者も然り)から学び、教えてもらう凄まじさ、
その怖いほどの素晴らしさを知らない。
気づくことの、ブレイクスルーの凄まじさを、一生,体験しないんだろうな、としみじみと思います。
二日目がんばります。