昨日、出席しました。
明石市文芸祭の授賞式に。
東京からわざわざ来られた方もいて、ビックリしました。
不届きな僕は、最初、ダブルブッキングした受講する詩の講座優先で欠席しようと思っていただけに反省しました。
講師の方からの丁寧な講評会は、プチ詩論、プチ創作教室になって、すごくためになりました。
来年は、この明石市文芸祭へ、詩の方はもう投稿しないでおこうかと思ってましたが、少し気持ちが揺らぎました。
小説や、児童文学、川柳、短歌は、引き続き投稿予定なので、詩も出していいかもと考え直してもいます。
次も自作が、一席の、市長賞になると自惚れていませんからね。
末席でも、この講評会には出席したいです。
東京から、わざわざ、ご出席の方が2組、おられて。少しびっくりしました。
散会後、そのうちの、お若い男性の横道さんには「ご苦労様です」と話しかけたところ(女性だと、ナンパに見られては困るので、話しかけません)、
小説もお書きになる、いや、そちらがメインだ、とおっしゃられました。
「へえー」と僕は反応してしまい、
僕の知る限りの、有益な小説創作教室の情報やら詩についてのあれこれをお伝えしました。
兵庫県民を代表しての、せめてものお礼の気持ちと歓待を込めてのことでしたが、かなり長い話になり、お許しくださいませ。
申し訳ございません。m(_ _)m
さて、記念の50回目ということで、例外的に小川洋子さんの講演会「小川洋子と文学」がありました。
倍率は、なんと10倍だったそうで、僕たちは受賞者特権で席を優先予約していただけておりました。
すごくラッキーでした。
よく考えると、
これがあれば、僕も、たとえ東京でも逆に出かけたかな、と今、気づきました。
その講演会内容が、司会の方とのトークショー形式だったんですが、実に素晴らしかったです。
小川洋子さんは、過去に二度ほど、講演をお聞きした記憶があるのですが、今回の内容とは全く被らず、実に有意義なものでした。
今回は、特に「博士の愛した数式」に関連した、話が多かった気がします。
代表作ですから。
内容の一端をご紹介すると、
「(今、書いている長編作品を、書きあぐねているとの自己紹介の後で)無数の選択肢があって、(書くことは)めんどくさい。仕事とは全て、めんどくさい、ですよね」
「作家は、正しいと正しくない、生と死とかの境界線を否定することから始まるのではないか」
「作家は、言葉を使って、世界の美しい真理を見出そうとするが、数学者は数式で、真理を見い出す」
「ことばの上での矛盾があって、あやふやさを許容することが大事」
「百万人じゃなくて、たった一人でも、「自分のために書いてくれたんだ」と思ってくれる人に、本を届けたい、と思って(書いて)います」
「若いときは自分をわかって欲しいと思って書いていた。でも、今は、実はこんな(境界線にいる)人がいることを伝えたい」
他にもありますが、僕の琴線に触れたのは以上です。
特に、小説家が、何を目指して書くべきか、の真髄は、ちょうど、純文学ってなんだろうと考えあぐねていた、僕の命題そのものでした。
ずばり、ド直球が入ってきたので、びっくりでした。
もし今の僕でなければ、強く響き、共鳴できないタイミングだったので、ああ、これもシンクロニシティじゃんか、と気づきました。
そんなこんなで、なんとなく凍っていた時計の針が、脈動し、動き出した予感を感じた、不思議な1日でした。
小川洋子さんが紹介した、読書本はまた次回以降に紹介します。