ここ2ヶ月、遅々として進まなかった講談社児童文学新人賞の応募作の改稿作業。
やっと84枚に到達。
やっとです。
ほんと、やっと。
1日、50枚の新作パートを書けるのに、何でやねんと思うけど、
これでも、ほんと精一杯で、奇跡的に感じました。
苦しいこと、この上なし。
でも、削ったり、付け加えたりで、元原稿の300枚が今、カウントすると、400枚に増えています。笑
規定は、300枚だから、現状でも100枚削らないといけない。
でも、まだそのうち、現状の3倍、たぶん240枚近くの推敲作業がまだで、まだまだ足したり、削ったりしなくちゃいけない。
ゼロから作った方がきっと簡単だったのかもしれないけど、自分の書き方のダメなところを確認、追体験しつつ直す作業を、どうしてもしたかったんですね。
何が悪くて、何が正しいのか、確かめるために。
でも、悪いとこだらけなので、読み直していると、ひどい自己嫌悪から全く書けなくなるんですよ。
いいえ。
あと、5日で、240枚を描き直さないといけない。
もう応募云々よりも、過去の自分との戦い・修正戦争になっています。
しかも欲張りな僕は、来月の4月になったら、ここで得た知見で、落選した長編児童文学新人賞220枚も1ヶ月で再改稿して、ちゅうでん児童文学賞へ出そうと思っています。
それで、15年間、コツコツとやってきた児童文学への挑戦の区切り、【卒業】としたいんですよね。
不本意な結果でですが。
児童文学を、15年間、もうやり切りました。
何度か、ここにきたように、児童文学との関わりを全く零にして切ろうとしているわけではありません。
一昨日、行った「ニッサン 童話と絵本のグランプリ」10枚には応募するつもりでいますし、角野栄子さんの「新しい童話大賞」20枚もこうしたいという構想があります。
日本児童文学者協会の機関誌「日本児童文学」の年間購読も続けるつもるつもりです。
(この3・4月号と5•6月号はわざと購読切れにして、今月号は昨日、注文したAmazonから送られてきました)
5•6月の尾崎美紀先生の童話教室も受講しますからね。
でも、ここで区切りをつけないとダメです。
じゃないと、このままでは何年経っても、1ヶ月、2ヶ月にらめっこで何も書けない、児童文学の作品ばかり読んでしまうズルズル自己嫌悪の時間を重ねてしまう。
それじゃあ、その悪しきループから抜け出せないし、解決出来ないことを、この1年、たっぷり書く時間のあった’23年度で痛感しました。
もちろん、詩も書いたり応募したり、詩の教室をいくつも受けて受講・作品提出したり、はたまた放送大学での勉強やらもやったりしたので、100%児童文学へエネルギーをそそぎ込んだわけではありません。
でも、空き時間のかなりを児童文学に費やしたのは揺るぎない事実だし、その結果が、無入選・無入賞ですからね。
現実を認めないと。笑
何よりも、片手間創作のはずの詩では、明石市文芸祭の一席市長賞、『望星』の掲載、伊東静雄賞の佳作、と去年よりは1歩前進した結果を出せてますから、
これはどうみても、戦略的な転進を図り、作戦の大幅変更しなければなりません。
もう老人でもある僕には、後がありませんから。
鳥山明さんと比べるのは烏滸がましいですが、その歳までなら、あと6年と少ししか挑戦時間はありません。
一昨日の、前記の「ニッサン 童話と絵本のグランプリ」授賞式では、大賞作品の圧巻の出来栄えにすっかり魅了され感動しました。
彼我の実力の差を感じると同時に、自作の手数の少なさと、反面の冗長さ、無駄さ加減を痛感できました。
300枚を書き通す実力がまだないことも。
また、反面、自分の中の童話・児童文学には、詩人的資質もあるので、ファンタジーSF小説好きな部分や、純文学小説好きな部分も含めて、
【自分の文学】なんですよね。
あの大賞を書かれた、樺島ざくろさんの世界とは違うんです。
この15年間、あまり向き合ってこなかった、純文学小説的な資質(こいつは一部、現代詩的な資質との共通感覚・共通世界を感じます)に取り組むことで、新たな展開になる。
その圧倒的な予感が、今、自分の中に生じていて、「出してよ」と叫んでいることも禁じ得ません。
とりあえず、目の前の改稿作業を頑張ります。
がんばれ、自分。