今日は、予定外で仕事。「諦めたら、そこで試合終了だよ」 | 読書と、現代詩・小説創作、物語と猫を愛する人たちへ送る部屋

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小説や詩の創作、猫また大学通信を書いています。Twitterは、atlan(筆名:竹之内稔)@atlan83837218 放送大学在学中。「第8回新しい詩の声」優秀賞を受賞。
 京都芸術大学の通信洋画&文芸コース卒業/慶應義塾大学通信卒業/東洋大通信卒業/放送大大学院の修士全科生修了。

今日は、予定外で入った仕事で、遅れて10時過ぎの出勤になった。

但し、交通費も出ないかもしれないし、そもそも時給が発生するかどうかも、わからない。

僕の自由意志で、たまたま寄ったという設定で、2時間近く拘束される。

なんという理不尽。

でも、行かないと、仕事でパートナーになっている、今、別仕事で猫の手も借りたい人に負担がかかる。

まるで人質誘拐作戦のような強制サービス仕事。

極悪非道だ、と思う。

 

あまりに馬鹿らしいので、バイクで行く。

帰りに図書館へ寄ろう。

なら、交通時間の半分ぐらいは仕事じゃなく、用事になるから。

 

それと、来るかどうかわからないクライアントを決められた時間まで待つだけの仕事だから、Mac Bookを持って行って、向こうで、今の児童文学構想を練ろう。

怒っているから、頭脳が働いて、少しでも進むかもしれない。

 

さて、小説創作の話題だけれど、

相変わらず、「自分に合う最初の書き方が、どこかにきっとある」という強迫観念に近い思い込みから逃れられない。

多分、詩での始まりが、この間書いたように「渡辺玄英詩集」との出会いで、実際それに近い出来事があっただけに、

どうしてもその思いを否定できないでいるのだろうと思う。

例えば、西島伝法のSF小説なんか、行く篇かのチラ読みしかしてないけど、そういう不穏さを感じる。

 

 

 

 

純文学にしても、SF寄りの円城塔のようなアプローチがまだまだあって、僕にならできる気がしてならない。

この種の強迫観念は、結構自分の根源に近いところにずっと沈んでいて、そいつは絶えず「出せよ」と叫んでいるから、たびたび焦燥感が産まれでる気がする。

 

 

あと、『航宙軍士官、冒険者になる』のマンガ版の最新刊7巻を読んだ。

おもしろかった。

 

 

 

これは原作のライトノベルも全巻買って読んで、もちろん、マンガ版も全巻買っている。

このマンガ版7巻で、小説の最新の4巻(2019年)まで漫画版が追いついたことになる。

原作小説の刊行は5年経ってもされないから、作者はもう書かないのだろうけど、すごく残念に思っていた。

で、マンガ版の続刊の告知がなされたので、一安心。

この本は、スペースオペラSFのファンとしては、読んで、「生きててよかったと思う面白さがある」。

こんな話が書きたいなあ、と思ってしまう。

 

あと、どうやら、短歌でやったメモの種・エッセイの時の断片メモ化、因果プロットの図式化で発想や構想を広げながら、

自分の内面へ情報・設定を流し込むとかけそうな気がしてきた。

 

それって、今までの僕に様々な文学活動やワークショップとのリンクであり、流用だ。

これを使わないと、いつまで経っても表層的な【ストーリー展開の呪縛】から逃れられないと気づく。

書けない時間、この2ヶ月、ずっとこの【呪縛】と24時間、戦っているからね。

 

ふと、その書き殴りのメモや図式化こそが、【言葉がコトバを呼ぶゾーン状態】入れるスイッチなんじゃないかって気がしてきた。

今日は、それに賭けてみる。

 

「諦めたら。そこで試合終了だよ」

 

「「負けたことがある」というのが、いつか大きな財産になる(日が来るさ)」

 

マンガ・スラムダンクの有名なセリフを自分へ言い聞かせる。

 

負け続ける自分のようなヘタレ男も、結局、勝てなくても、立ち上がり、走り続けるしかない。

せっかく、神様から、もらったチャンスだから、出場(完成・応募)だけはしないと。

 

ここで書くのを諦めたら、小説も詩も、全く書けなかった16年前以上の昔の僕に、僕自身に叱られてしまうし、申し訳がない。

また、この前、ここには、恥ずかしくて書けない「大きな夢」も世間に足して働きかけるものを持ちましたからね。

 

我が人生に一片の悔い無し、とは絶対言えない悔いだらけの人生だけど、せめて一つずつ悔いを持たないように努力しないと。