依然として、微々たる前進しかできないまま、ラスボスの、講談社児童文学新人賞と格闘中、です。
根本的に作り直す、構想だけはたまりましたが、その着手に至らず、茫然自失中。
それに対して、詩の方は勝手に書けて、いや、書かずにはいられなくて、勝手に素案を言葉書きして、構想は産まれてくる。
児童文学、小説、詩の3兎は追えない。
集中せずに、無計画なその場しのぎで、ダラダラ追ってるから、いつまでもまともな児童文学も書けないんだ、と気づいたものの、
こうして、詩はすでに完全身体化を完了しているので、〈考えること・感じること=詩の言葉の生成〉プロセスを止めることはもはや不可能です。
ですから、そっちはウチの猫のように「にゃー、にゃー」と寄ってきた時だけ、要求に応えてやって、やり過ごす。
で、「’24年度は、空き時間を大人向け小説へ一択だ!」と決意しているものの、児童文学の情報も入ってくる。
これはこれで全くの無視で書かないのは我慢できそうにない。
構想は立たないのに、イライラしてくるからだ。
仕方ない。
児童文学は、20枚以下のみ書くことにしよう。
それ以外は極力、書かない。
我慢する。
ほんと書かない。
今の講談社みたいに、取り掛かれば、ひと月ぐらい書けなくて苦しむ期間ができちゃうからね。
うーん、パチンコ中毒か、報われない悪女に騙されているトンマ野郎か、と自分を思ってしまうよ。
それでも、書くのは「角野栄子あたらしい童話大賞/森林のまち童話大賞/ニッサン童話と絵本のグランプリ」のせいぜい三つか、
プラス、絵本テキスト大賞で、止めるべきだ。
大体、この4つぐらいに限定しないといけない。
もう日本児童文学関係の投稿賞なぞも、絶対やらないと誓わないと、ズルズルやりそうだ。
児童文学で成果が出たならともかく、頑張って、できるだけ専念しようと努めた、この’23年度でも全然でしたからね。
もう無駄な不可能壁の前で足踏みしている時間が僕にはないんだよ。
無論のこと、一生、児童文学を書かないと決意しているんじゃない。
ただ、児童文学の、配慮・親切な表現を心がけ、地道な表現とリアリズム第一なことが、正直、現状の僕にはミスキャスト、全く合ってないようだから。
2年3年、大人の小説界隈で修行してから、再挑戦しようと思ったんです。
一発屋的な〈企み・アイデア勝負〉で、なんでもありなのが、純文学小説と現代詩ですからね。
両者は、その点に関しては、書き手ファーストな点も含めて、すごく似ているんですよ。
逆に、エンタメ系小説と、児童文学は地道さ、読み手ファースト度合いが高すぎて、現状の僕では歯が立たないと感じています。
7年前の’16年12月に第一歩を踏み出した詩の世界は、7年間でここまで成長しました。
15年前の’08年ごろに第一歩の児童文学は、確かに大きく成長したものの、力不足は変わらないままなのでしょう。
もういい加減その事実を受け入れて、ちゃんと認めるべきでしょう。(途中の’19-22年は、ほぼ詩ばかり書いてましたが)
くり返しますが、この’23年度は、大きく児童文学に注力しましたが、成果なしでしたからね。
だから、今回のラスボス、講談社児童文学新人賞で、一つの区切りにすべきなんです。
まあ、お別れコンサートみたいなものだから、意地でも完成だけする。
出来が悪いのは実力だからね、仕方がない。
そう言い聞かせて、取り組まないと完成できそうにないな。
自分の中の、左脳審査官が金切り声で「ダメだ! 書くな!」と喚き続けるから、書き出すことすらできないんだよね。
君の本妻は、一番愛しているのは、小説でしょう。
書けそうね、と色気で誘惑する、この悪女、愛人の、児童文学とは、声で手切れ、別れましょう。
きっと、児童文学の、ことにファンタジーへの恋心があるんでしょうが、それとはご縁がなかったんですよ。
別の形で、詩でも書けるからね。
うーん、講談社の受賞作である、このファンタジー作品の『黒紙の魔術師と白銀の龍』は、遠かったなあ。
こうしたファンタジーも一度、しっかりと封印です。