一昨日の深夜放映のアニメ『葬送のフリーレン』第23話「迷宮攻略」で、僕は、またも感動と、自分にとっては大発見をしてしまいました。
ラストの、miletのエンデイング曲で、いつにも増して、うるると涙腺に来ました。
(この曲、ネットで購入しましたよ)
やっと、わかった。
「大発見だ」
今日、「葬送のフリーレン」の第23話「迷宮攻略」を観ながら、そう思いました。
「そうか、物語って、過去に向かって語ってゆくんだ。」って、気づくことがました。
もちろん、話の展開は語られていない未来へ向かってゆくものなので、矛盾していることを言ってるのはわかるんだけど、
きっと、これが僕に欠けていた感覚です。
今回の第23話では、フリーレンたち1級魔法試験の受験者は、第2次試験の課題として、迷宮の最深部へゆくことを課されます。
ところが、最深部近くでは……、
以下、ネタバレになりますので、お嫌な方はここで、閉じてください。
* * * *
最深部近くで、受験者たちが自分や仲間の複製体(魔力で何者かに生成されたもの)と戦ってゆくとき、
それ以前のストーリーの放映済み過去話で語られた、それぞれの魔法の特徴が回収されて出現します。
視聴者に「ああ、これって」伏線を感じさせて。それゆえの予想を立てさせるんだよね。
たとえば、ヴィアベルが自分の拘束魔法で少女エーレが拘束される時、
老魔法使いデンケンが孫みたいに可愛がる少女ラオフェンの複製体や、フリーレンの複製体と対峙した時、
僕は過去話の展開と伏線を感じ、回収しました。
そして、今回も僕はこの物語の醸し出す雰囲気と世界観に感動したんだけど、
それはこうして過去を絡めながら語られるそれぞれの人物の生き様から来る、ジーンとくる感動からなんだよね。
つまり、過去の生き方を含んでいる現在のストーリーであり、現在の展開になる。
そもそも、このアニメ・マンガ自体の設定世界観は勇者ヒンメルとフリーレンの心(愛?)の回想の物語であって、メインのキーワードは過去なんだからね。
それは知ってたけど、自分と物語の距離感までは思い至らなかった。
僕はいつも自分が立てたプロットという未来へ向かって、物語っていた。
そりゃ、ダメダメにしかならなくて、当然だったんだ、と理解できた。
そう思って、今度、7月受講予定の浅暮三文さんの、このミステリーを読むと、
うんうん、ちゃんと過去の伏線や時間が冒頭からいっぱい張ってあって、納得でした。
(この分析は、また今度、いつかにやりたいです)
そうそう、この過去を意識する感覚。
この意識・感覚を保ちつつ、物語を創る。
それは詩では短すぎて、ずっとは不要で、あっても一瞬一瞬で良かった感覚。
けど、小説では、継続的な時間で保ちつつ、常にどこかで要る気がする。
それだけで、大発見でした。
このアニメ、マンガ版は買ってるから、ストーリーは知ってるはずなのに、毎回、引き込まれます。
生きてて良かったなあ、と思います。(大袈裟!)
ようやく書き始めています。
邪魔している、自分自身の15年分の過去の書いてきた思い、さらに書けなかった何十年の過去、それらを描く姿勢とは逆に断ち切らないといけない。
難しい。
自分自身だから、書きたいという思いそのものに起因するものだから。