誰だったかのスピーチで、「選択に迷ったときは、より困難な方をいつも選ぶことを信条にしてきた」というものを聞いたことがあります。
いやあ、それってなかなかできないことだ、がその時の僕の感想でした。
今、ふっとそのことを思い出したのです。
じゃあ、創作において、僕はより困難でない安楽な方ばかりを選んだかというと、
そうじゃなかった。
割りあいとしては半々ぐらいかな。
困難を選んで、この前の11月末の太宰治賞向け原稿のように、やっぱり途中で力尽きることも多かった。
中には、成功して書き上げたことも幾らかある。
困難へ挑戦して、2割から3割ぐらいは書き上げたかな。
そのうち、成果が出たものは、さらに、その1割もないけど、
振り返って考えると、その失敗ですら、なんらかの形で次に繋がったものが10割近い、気もする。
無理して出しておいて、よかった経験も、それほど稀じゃない。
今回の講談社児童文学新人賞のような300枚もあるものは、何年も前からあるが、何一つ成功していないから、勝率はゼロだ。
でも、それぞれで書き終えたことが自信になり、経験値になったいることは確かだ。
元原稿300枚を、チョコチョコとなおして、成果を上げよう(=完成させること)というセコイ目標値が、
その考えそのこと自体がすでに失敗破綻しているし、そこが間違いのものとか。
もう300枚を完成させること自体は、何度も経験を積んでいるので、そこを目標にしても仕方がない。
今回の、マンガ・ネーム方式の、読み手ファースト意識を、自分が体得するのを目的にしたら、むしろ、完成しなくてもいいんだから、
〈一から書き直しを目指すべき〉
これが結論となりました。
そう考えると、すごく気持ち的にスッキリしました。
まあ、せいぜい主人公たちのキャラはそのまま流用しつつ、関係性を変えて書いてみることにします。
出ないと、このまま睨めっこしても無理があるんです。
ダメ原稿は、ダメなんですよ。
詩と違い、セミプロじゃないんだから。
書きながら、ときどき、元原稿を見て、ここがダメなのかな、と確認しながらやります。
頑張ります。