迷った時は、より困難な方を選ぶ | 読書と、現代詩・小説創作、物語と猫を愛する人たちへ送る部屋

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小説や詩の創作、猫また大学通信を書いています。Twitterは、atlan(筆名:竹之内稔)@atlan83837218 放送大学在学中。「第8回新しい詩の声」優秀賞を受賞。
 京都芸術大学の通信洋画&文芸コース卒業/慶應義塾大学通信卒業/東洋大通信卒業/放送大大学院の修士全科生修了。

誰だったかのスピーチで、「選択に迷ったときは、より困難な方をいつも選ぶことを信条にしてきた」というものを聞いたことがあります。

 

いやあ、それってなかなかできないことだ、がその時の僕の感想でした。

今、ふっとそのことを思い出したのです。

じゃあ、創作において、僕はより困難でない安楽な方ばかりを選んだかというと、

そうじゃなかった。

 

割りあいとしては半々ぐらいかな。

困難を選んで、この前の11月末の太宰治賞向け原稿のように、やっぱり途中で力尽きることも多かった。

中には、成功して書き上げたことも幾らかある。

困難へ挑戦して、2割から3割ぐらいは書き上げたかな。

そのうち、成果が出たものは、さらに、その1割もないけど、

振り返って考えると、その失敗ですら、なんらかの形で次に繋がったものが10割近い、気もする。

無理して出しておいて、よかった経験も、それほど稀じゃない。

 

今回の講談社児童文学新人賞のような300枚もあるものは、何年も前からあるが、何一つ成功していないから、勝率はゼロだ。

でも、それぞれで書き終えたことが自信になり、経験値になったいることは確かだ。

 

元原稿300枚を、チョコチョコとなおして、成果を上げよう(=完成させること)というセコイ目標値が、

その考えそのこと自体がすでに失敗破綻しているし、そこが間違いのものとか。

 

もう300枚を完成させること自体は、何度も経験を積んでいるので、そこを目標にしても仕方がない。

 

今回の、マンガ・ネーム方式の、読み手ファースト意識を、自分が体得するのを目的にしたら、むしろ、完成しなくてもいいんだから、

 

〈一から書き直しを目指すべき〉

 

これが結論となりました。

 

そう考えると、すごく気持ち的にスッキリしました。

 

まあ、せいぜい主人公たちのキャラはそのまま流用しつつ、関係性を変えて書いてみることにします。

出ないと、このまま睨めっこしても無理があるんです。

ダメ原稿は、ダメなんですよ。

詩と違い、セミプロじゃないんだから。

書きながら、ときどき、元原稿を見て、ここがダメなのかな、と確認しながらやります。

 

頑張ります。